「生と死っていう相反するふたつを網ひとつで表現できる」―漁網アーティスト吉田凱一が描く新時代の美学
三重県四日市市の古い漁網工場。屋根がたわみ、雨漏りの跡が残り、落ち葉が静かに堆積するその場所で、一人の若いアーティストが独自の創作活動を続けています。漁網アーティストの吉田凱一さん、26歳。彼が手にするのは、祖父が遺した漁網という素材です。その網に込められた思想は、単なる廃材利用を遥かに超えた深い哲学を宿しています。
「漁網って魚を捕る道具なので、生を繋げていくための道具としても捉えられるんだけども、同時に魚の命は奪っているわけで、生と死っていう相反するふたつを網ひとつで表現できると思っています」
この言葉には、物事の表面的な意味に留まらず、その奥に潜む本質的な矛盾や対立を統合しようとする思考の深さが込められています。
漁網を取り巻く環境
日本の漁網産業は、明治期以降の四日市を中心として発達してきました。特に四日市周辺地域は、漁網工場の集積度が日本でも桁違いに高く、紡績産業の発展とともに地域の基幹産業として栄えた歴史があります。時代の変化とともに多くの工場が姿を消し、吉田さんの祖父が創業した工場も10年前に操業を停止しました。
現代のアート界では、サステナビリティ意識の高まりとともに、廃材を活用したアップサイクルアートが注目を集めています。同時に、企業研修や地方創生の分野では「アート思考」という新しいアプローチが導入され始めており、創造性を通じた価値創造への期待が高まっています。
このような背景の中で、吉田さんは2年間で17回の個展を開催し、着実に作品の評価を高めてきました。
「純粋なアートでは勝てないかもしれないけど、総合力で勝負しよう」
「自分は純粋なアートでは勝てないかもしれないけど、であれば僕はもう総合力で勝負しよう」
多くのアーティストが単一の表現手法で勝負する中、この発言からは、自身の立ち位置を冷静に分析し、独自の価値創造の道筋を見つけようとする戦略的思考が浮かび上がります。実際に彼は、作品制作だけでなく、企業向けのアート思考ワークショップも手がけ、創造性を社会に還元する活動を展開しています。
長年のインタビュー経験を通じて感じるのは、こうした複合的なアプローチを意識的に選択する若い経営者の稀少性です。多くの場合、専門性の追求か事業の多角化かという二択で悩むものですが、吉田さんは両者を統合した独自の価値提案を構築しています。
「この結び目っていう部分をもっと広げて解釈すると」
祖父が作っていた漁網は「有結節網」という結び目のある網でした。吉田さんはこの物理的な結び目を、より広い概念として捉え直します。
「この結び目っていう部分をもっと広げて解釈すると、時代であったりとか、国境であったりとか、文化間の結節・結び目でありたいなっていうふうに思っています」
ここから見えてくるのは、地域の伝統技術と現代アート、個人の物語と社会的課題、日本の文化と世界の潮流を繋ぐ「媒介者」として自身を位置づける明確な意志です。実際、工場という創造性を掻き立てる廃墟的な空間で制作活動を行う彼の姿には、時代と時代を繋ぐ結節点としての存在感が漂っていました。
「美しい終わり方を作る」という新しい選択肢
最も印象的だったのは、祖父の工場の未来について語る時の吉田さんの言葉でした。
「閉じるっていう選択肢、それも美しい終わりを作るっていうところを選択肢として増やすことはできないかなっていうのをずっと考えています」
高度成長期を経験していない世代が、事業の拡大ではなく「美しい終わり方」について語る姿には、従来の経営者とは根本的に異なる価値観が表出しています。これは失われた30年を背景に持つ若い世代ならではの、現代日本社会に対する一つのアンチテーゼとも読み取れます。
時代を超える価値
吉田凱一さんの活動が指し示すのは、継承と終焉、個人と地域、伝統と革新を統合する新しい価値創造の可能性です。四日市という土地の産業史と個人の物語を重層的に繋げた独自のストーリー性は、他の誰にも模倣できない領域を生み出しています。
少子高齢化により多くの地域産業や家族企業が転換期を迎える中、彼が提示する「美しい終わり方」という選択肢は、新しい事業承継の形を暗示しているように思われます。同時に、創造性を通じた地域活性化のモデルとして、多くの示唆を与えてくれます。
漁網という素材を通じて「生と死」を統合し、結び目を通じて異なる要素を繋ぐ。吉田さんの哲学は、分断と対立が深まる現代社会において、私たちが目指すべき新しい統合のあり方をも指し示しているのではないかと感じます。
記事を書いた人

アストライド代表 纐纈 智英
アストライド代表。前職を含め地域企業を中心とした200社以上の経営者インタビュー映像を制作。現在は「左脳と右脳のハイブリッド」を掲げ、戦略設計から映像・Web・各種コンテンツ制作まで手がける。 これまで音楽家として楽曲提供、行政職員として12年間 制度運用・予算編成等に従事。その後、NPO法人、映像・マーケティング分野に転じ、現在に至る。現在は大学非常勤講師として映像編集ソフトの操作指導も行う。
























