1000度の炎に向き合う覚悟
三重県南伊勢町で受け継がれる備長炭の真実
「初めて窯出しした時は、本当に死ぬんじゃないかと思うくらい大変でした」。三重県南伊勢町でマルモ製炭所を営む森前栄一氏の言葉には、一切の美化がありません。1000度以上の高温が支配する窯の前で、体力を奪われながらも炭と向き合い続ける日々。その過酷さを隠すことなく語る姿勢に、真の職人としての誠実さが表れています。
森前氏が手がける備長炭は、日本固有の技術によって生み出される希少な存在です。原料となるウバメガシは日本にしかない樹木であり、「海外で作ろうと思っても作れない」と森前氏が語るように、この技術そのものが日本の文化的資産といえます。
備長炭を取り巻く環境
備長炭といえば和歌山が本場として知られていますが、伊勢志摩地方には豊富なウバメガシが自生しており、原木調達の面では有利な条件が整っています。しかし、森前氏が扱う原木は「業界の中でもナンバーワンというくらい曲がっている」代物。曲がったままでは均一に焼けないため、一本一本を真っ直ぐに加工する手間は相当なものです。
2022年の取材当時、コロナ禍の影響でスローライフや田舎暮らしへの憧れが高まっていました。しかし現在、そうした表面的な憧憬から、真の持続可能性を追求する社会へと価値観は深化しています。炭焼きという伝統技術が現代の環境課題解決に直結することが、より明確に認識されるようになったのです。
「どうせ作るんやったら、エエもん作りたい」という哲学
森前氏の仕事への取り組みは、単なる技術継承を超えた哲学に支えられています。「丁寧にやっていこう。どうせ作るんやったら、同じ値段やったらエエもん作りたい」という言葉からは、品質への妥協なき追求が伝わってきます。
炭焼きは天候に左右される仕事でもあります。「毎回ぴったり同じ時間に出せるかというと、ちょっと難しい」と語る森前氏。気持ちが焦ると判断を誤る危険もあり、自然のリズムに合わせて丁寧に向き合う姿勢が求められます。この「急がば回れ」の精神は、効率最優先の現代社会への問いかけでもあります。
「山と海が繋がっている」という循環の智恵
特に印象深いのは、森前氏が語る自然循環への洞察です。「山と海が繋がっていて、木を切ることによって山に溜まった栄養豊富な水が流れていき、魚が増える。これが一番エコな仕事じゃないか」。この言葉には、単なる環境保護を超えた、自然と人間の共生に対する深い理解が込められています。
里山の管理が海の豊かさに直結するという認識は、現代の循環型社会構築において重要な示唆を与えています。炭焼きという行為が、森林保全から海洋環境まで、広範囲な生態系維持に貢献している事実は、伝統技術の現代的価値を如実に示すものです。
「甘くない、甘くない、本当に」という現実
一方で、森前氏は後継者問題についても率直に語ります。「スローライフとか田舎暮らしがしたいと言って都会から来るけど、若い人が来ても結局辞めていく。こんなにしんどいのは無理だ、となる」。この現実的な視点は、地方創生や伝統技術継承を考える上で極めて重要です。
「やるんやったら最後までやりきってほしい。炭焼きで飯を食うのは甘くない、甘くない、本当に」という言葉には、安易な憧憬への警鐘と同時に、この仕事への深い愛情が表れています。
時代を超える価値
森前氏の仕事に向き合う姿勢は、現代社会が見失いがちな価値を私たちに思い起こさせます。1000度の炎と向き合う覚悟、自然のリズムに合わせる謙虚さ、品質への妥協なき追求。これらは炭焼きの技術を超えて、あらゆる仕事に通じる普遍的な智恵といえるでしょう。
また、「この仕事をしていなかったら、自然の素晴らしさは分からなかった」という森前氏の言葉は、自然と直接関わることの意味を改めて問いかけています。デジタル化が進む現代において、五感を通じて自然を感じる機会の価値は一層高まっています。
マルモ製炭所の森前氏が体現する職人の姿は、私たちに重要な問いを投げかけています。真の豊かさとは何か。持続可能な社会とはどのような姿か。そして、次の世代に何を継承していくべきか。1000度の炎の向こうに見える答えに、私たちは耳を傾ける必要があるのかもしれません。
記事を書いた人

アストライド代表 纐纈 智英
アストライド代表。前職を含め地域企業を中心とした200社以上の経営者インタビュー映像を制作。現在は「左脳と右脳のハイブリッド」を掲げ、戦略設計から映像・Web・各種コンテンツ制作まで手がける。 これまで音楽家として楽曲提供、行政職員として12年間 制度運用・予算編成等に従事。その後、NPO法人、映像・マーケティング分野に転じ、現在に至る。現在は大学非常勤講師として映像編集ソフトの操作指導も行う。

































