「みかんは僕の家族」という哲学が紡ぐ、共生の農業経営学

三重県度会郡南伊勢町の山間部で、一人の農家が情熱を燃やし活動しています。内瀬柑橘出荷組合アサヒ農園の園主、田所一成氏が語る「みかんは僕の家族や友だち」という言葉は、単なる比喩ではありません。現代農業の効率化の波に抗い、生命との共生を貫く経営哲学の真髄といえます。銀座千疋屋をはじめとする高級果物店が、わずか3軒の小さな産地から生まれるみかんを求め続ける理由は、この哲学にこそあります。

みかん産業を取り巻く環境

2022年当時、国内のみかん産業は大きな転換期を迎えていました。産地間競争の激化により、規模拡大と効率化が生き残りの条件とされる中、小規模農家の多くが廃業を余儀なくされていました。田所氏自身も語るように、かつて「十数軒あった」産地が「わずか3軒」まで減少し、地域農業の存続が危ぶまれる状況でした。一方で、消費者の嗜好は量から質へとシフトし、プレミアム農産物への需要が高まりつつあった時期でもあります。現在、この流れはさらに加速し、ストーリー性のある農産物が市場で高く評価される時代となってきました。

「考えるな感じろ」が生み出す本物の品質

田所氏が「考えるな感じろがタイプ」と自己評価する背景には、20数年に及ぶ現場感覚の蓄積があります。知識だけに頼らず、みかんの木々との日々の対話を通じて培った直感こそが、他では味わえない品質を生み出す源泉となっています。

この感覚重視のアプローチは、現代のデータドリブンな農業とは一線を画しています。しかし、だからこそ生まれる独特の甘みと風味が、プロの目利きである千疋屋のバイヤーを魅了し続けているのかもしれません。田所氏が語る「明日からいいです」と言ってもらえた瞬間は、長年の感覚的な品質追求が認められた証です。

「一人勝ちは嫌」な共生経営学

最も印象的なのは、田所氏の「一人勝ちは嫌や」という言葉ではないでしょうか。この発言は、競争社会において異質な響きを持ちますが、実は極めて戦略的な経営思想を表していると考えられます。

田所氏が目指すのは、お客様も自分も地域も幸せになれる関係性の構築といえます。「その人が求めるものを作るのが一番」という姿勢は、顧客との深い信頼関係を築き、結果として強固な「地域で勝つ」競争優位性を生み出しているように感じます。実際、現在の顧客は「ありがたいことにバイヤーさんが直接見にきていただいて」という状況にあり、一方的な販売ではなく、対話による価値創造が実現されています。

この共生思想は、田所氏の品質へのこだわりにも表れています。「ここまでせんでもええのにとか言われるし、それは僕の信用やし」という発言からは、他者の評価を超えた内発的な基準を持つ職人の姿が浮かび上がります。妥協なき品質追求が、結果として顧客満足と事業継続の両立を可能にしているといえます。

「見とられん」という愛情が育む信頼

「みかんは僕の家族や友だち」「傷ついたりとか病気にかかったりとか、それを見とられん」という言葉には、単なる栽培技術を超えた深い愛情が込められています。率直な言葉で語られる「見とられん」という表現に、みかんの木々への家族同然の思いが表れています。

この感情は、みかんを単なる商品や資産として扱うのではなく、共に生きるパートナーとして捉える視点によるもの。だからこそ「最低最小限で薬はかけたりとか」という栽培方法が自然に選択され、結果として安全で美味しいみかんが生まれる。このような関係性は、これからの持続可能な農業のあり方について改めて考えさせられます。

時代を超える普遍的価値

効率化と規模拡大が唯一の解とされる時代に、なぜ小規模な農家が高級市場で評価され続けるのか。その答えは、表層的な技術や設備では代替できない「関係性」と「物語」にあるのではないでしょうか。

アサヒ農園のみかんが千疋屋で売られ続けるのは、「単に美味しいから」で表現するには足りない様に感じます。一つ一つのみかんに込められた思いや、100年近い歴史を持つ産地の物語、そして「家族」として大切に育てられたという背景が、田所氏の背景や責任感として日々の仕事にあらわれ、商品価値を決定的に高めたのではないかと感じています。

現代のビジネスパーソンが田所氏から学ぶべきは、効率性を追求しながらも、本質的な価値を見失わない姿勢ではないかと私は考えています。「気に入ってくれたらおのずと来てくれる そんな農家になりたい」という言葉は、真の顧客満足とは何かを問いかけています。

競争ではなく共生を、効率ではなく関係性を重視する田所氏の経営への考えは、持続可能な事業のあり方を照らし出す一筋の光。その様に感じてなりません。

記事を書いた人

アストライド代表 纐纈 智英

アストライド代表。前職を含め地域企業を中心とした200社以上の経営者インタビュー映像を制作。現在は「左脳と右脳のハイブリッド」を掲げ、戦略設計から映像・Web・各種コンテンツ制作まで手がける。 これまで音楽家として楽曲提供、行政職員として12年間 制度運用・予算編成等に従事。その後、NPO法人、映像・マーケティング分野に転じ、現在に至る。現在は大学非常勤講師として映像編集ソフトの操作指導も行う。