インタビュアーの視点 – 二軒茶屋餅角屋本店|鈴木成宗氏

二軒茶屋餅角屋本店は、三重県伊勢市神久に位置する、天正3年(1575年)創業の老舗餅屋です。もともと伊勢神宮に参拝に来る方が着かれた船着き場で、参拝客をお迎えする茶店として始まりました。明治5年には明治天皇陛下も船でいらっしゃって、実家の餅屋の船着き場から上陸されて参宮に行かれたという歴史があります。21代目の鈴木成宗社長は、餅の製造・販売に加え、味噌・醤油の醸造業、そしてクラフトビール事業「ISEKADO(伊勢角屋麦酒)」を展開しています。

クラフトビール業界の現状

日本のクラフトビール市場は約500億円の規模を有し、クラフトビールメーカーは約500社存在します。しかし、クラフトビールの市場シェアは全体のビール市場の約1%に過ぎず、大手ビールメーカーのシェアが圧倒的です。地ビールブームの終息により、市場の成熟化が進み、競争が激化しています。

このような厳しい市場環境の中で、二軒茶屋餅角屋本店は、地域の酵母を使ったクラフトビールの製造に取り組み、世界大会で四大会連続金賞を受賞するまでに成長しました。

4代か5代ぐらいに変わり者が出てくる

鈴木社長は、家系の特徴をこう語ります。

「4代か5代ぐらいに、ちょっと変わり者が出てくるみたいでして」

近いところで曾祖父が味噌醤油を始めました。非常に商売勘が良かったような人で、お酒の問屋を始めたり、いろんな事業をやった人で、全てを成功させた人でした。あるべき商売人というか、本当にあやかりたような人だったと振り返ります。

「私は同じ変わり者でも、ちょっと別方向に変わっちゃってまして。小さい頃から微生物が好きで、顕微鏡をのぞいてワーワー言っていたような人間ですから、そのまま大人になっちゃって、ビールを始めちゃったりだとかありますので」

本来の商売人としてのあるべき姿かどうか、よくわからないんですけど、と笑います。

微生物への興味

鈴木社長の原体験は、子供のころの味噌醤油蔵での体験にあります。味噌醤油蔵を子供のころ遊び場にしていた。

「顕微鏡で微細な生物を見ると、オルガネラ、その細胞の中のいろんなものまで結構見えたりする。動きとか見えて、生きているその生体の機能がそこで見えてくるわけです。これがすごいなっていうのがあって」

人の手で一から何かを作り上げていく、いわゆる工業と言われるものよりも、そこに生き物が介在してものが出来上がっていく。農業もそうでしょうし、醸造業まさにそうなんですけど、やっぱりそちらのほうが強い興味を惹かれたっていうのはありますね、と語ります。

クラフトとしての条件

平成9年(1997年)にクラフトビール事業を開始した鈴木社長は、地域の酵母を使ったクラフトビールの製造に取り組みました。

「そもそもビールっていうのは日本中に、誰でも手に入る所にいっぱいあるにも変わらず、あえてそこに新たなビールを出す以上は、自分たちがそのお伝えしたいものはこれなんだと。そこに想いと実際のものっていうのがある。ということがまず、クラフトとしての条件だと思うんですね」

地域の産品を使いたいという気持ちは前からあった。しかし、ビールの主原料である麦芽は、麦の栽培はできても精麦して麦芽にするのが難しい。ホップに関しては伊勢は暖かすぎる。

「じゃあどうするかという中で、私もともと微生物が専門ですから、地域から酵母をとってきて、それでやってみたらどうだろうっていうので始まったんですよ」

地域の酵母から生まれた「ヒメホワイト」

樹液から酵母をとってきて、それでビールをつくって、まぁそれはそれで面白いのができた。しかし、いろんなものが混ざっている状態なので、三重大学の博士課程に編入させてもらって、大学の設備を使わせていただいて、その中から有用なビール酵母を単離して、主成分分析をして比べて、酵母の特性を掴んでビールを造る。

「っていうのをやってできたのが『ヒメホワイト』ってビールなんです。倭姫神社って神社の近くで採取したんです。それで『ヒメホワイト』って言うんです」

これが有効な酵母であることを確認して使うというのは、ちょっと片手間にやろうかってできる程度のことではない。よほど好きであるか、よほど企業として本腰を入れないと、そんなに簡単な作業ではない。

世界大会で受賞できるレベルじゃなかったら出荷しない

「すでにそのビール界のオスカーって言われる大会のタイトルはもうすでにとっているんですね。世界大会で受賞できるレベルのものじゃなかったら出荷しないっていう、そういうルールが決めてありまして」

やるからには最高に良いものを作ろうよっていう。これはまあもう本当に、自然なものづくりをしている人の感覚だろうとは思いますけどね、と語ります。

当初は餅屋の副業というか、片手間程度にやるつもりだった。

「何を間違ったのかこっちが本業みたいに今なっちゃってると。本当に何も知らない人間が、フルスイングでバット振っちゃったみたいな感じですよね。よくやっちゃったなと本当思いますね。かなり無謀なことをやったなと今でも思いますけどね」

8,000リットルのビールを捨てた記憶

成功の道のりは平坦ではありませんでした。

「ここの工場作った時も新しい設備で、いいビールが作れなくて、8,000リットルぐらいビール捨てましたけど、相当辛い記憶ではありますけど」

結果的に誰かに迷惑かけちゃうことがいっぱいあると思うんですよ、仕事やってたら、生きてたらね。家内にも迷惑かけてきましたし、ですけど、後ろめたいなと思うことは、やっぱりやらないようにはしたいですね、と語ります。

限定ビールという実験の場

鈴木社長は、限定ビールを積極的に展開しています。

「新しいもの新しいものって、やっぱり興味がいきますから。そこにラベルがありますけどこれ全部、単発の限定でやったものなんですよ」

日本食に合うビールをつくりたいなと思いまして、鰹節だとか椎茸昆布だとか使って、ビールをつくったというのが「ダシエール」。神都プレミアムなんかはもう、度数10%ぐらいのものをつくって、2年間ぐらい熟成させたものもある。ブルーボトルコーヒーさんと一緒にコーヒーを使ったビールもある。サミットの時に作ったサミットビールは、「サミット」というホップを使っている。

「限定ビールっていうのは1つのまさに実験の場ではありますね。これはもう社員たちが自分でレシピを書いて作っていきますので、いろいろ面白い取り組みが出てきますよ。新しい発想でビールをつくっていって欲しいとは思いますね」

450年の歴史を価値あるものにしていく

「長く続いてきたというのはそれだけ人に価値を認められてきたことだという風に思うので、私の代は私の代で、家業が継いできたものをやっぱり価値あるものにしていかなくちゃいけないとは思いますし」

決して同じことを繰り返したわけじゃないと思うんです。それぞれの代が時代の中で、精いっぱいやってきた結果としての永続だったと思うので、と語ります。

「生活の中で私どもの食べ物、商品あることで、少しでもその瞬間お客様のその空間であったりとか、アップグレードしてくれれば、それで満足だなと思っていますし、そういうふうになるように、これからもやっていきたいなとは思っていますね」

伊勢という名前を聞いたら、ビールをつくっている街

「伊勢という名前を聞いたらですね、ビールをつくっている街なんだなって思ってもらえるぐらいのものを、世界に発信していきたいなとは思っていますね」


アストライドのミッション

二軒茶屋餅角屋本店の物語は、「微生物への興味」という原体験から始まりました。子供のころ、味噌醤油蔵を遊び場にし、顕微鏡をのぞいてワーワー言っていた少年が、そのまま大人になり、クラフトビール事業を始めた。

「本当に何も知らない人間が、フルスイングでバット振っちゃったみたいな感じ」——そう語る鈴木社長の言葉には、450年続く老舗餅屋の21代目としての覚悟が刻まれています。

私はこれまで、200社以上の経営者インタビューを通じて、こうした経営者の想いに向き合ってきました。経営者の言葉を映像として記録し、次の世代へと伝えていくこと。それが、現在のアストライドの使命です。

「長く続いてきたというのはそれだけ人に価値を認められてきたこと」——この言葉は、この映像の中に確かに残されています。

記事を書いた人

アストライド代表 纐纈 智英

アストライド代表。前職を含め地域企業を中心とした200社以上の経営者インタビュー映像を制作。現在は「左脳と右脳のハイブリッド」を掲げ、戦略設計から映像・Web・各種コンテンツ制作まで手がける。 これまで音楽家として楽曲提供、行政職員として12年間 制度運用・予算編成等に従事。その後、NPO法人、映像・マーケティング分野に転じ、現在に至る。現在は大学非常勤講師として映像編集ソフトの操作指導も行う。