モニターヘッドホンMDR-CD900STを使い続ける理由——ポッドキャスト制作における「音の基準」

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この記事でわかること

  • MDR-CD900STに対する昨今の評価と、その背景にある視点の違い
  • 「リスニング用途」と「制作用途」でヘッドホンに求められる要件の違い
  • ポッドキャスト制作において「音の基準」を持つことの重要性
  • 機材選定における「流行」と「一貫性」のトレードオフ
  • 筆者がこのヘッドホンを選び続ける具体的な理由

SONY MDR-CD900ST。1989年の発売から35年以上が経過したこのヘッドホンは、日本の音楽制作現場で「業界標準」として長く使われてきました。

しかし近年、このヘッドホンに対する評価は分かれています。「低音がスカスカ」「現代の音楽制作に合わない」「時代遅れ」——こうした声がレビューサイトやSNSで目立つようになりました。

私はこのヘッドホンを15年以上使い続けています。そして、ポッドキャスト制作という観点から、あえてこの機種を選び続ける理由があります。

SONY MDR-CD900ST(引用:サウンドハウス様)

https://www.soundhouse.co.jp/products/detail/item/71265

昨今の評価:なぜ「時代遅れ」と言われるのか

MDR-CD900STに対するネガティブな評価は、大きく二つに集約されます。

一つは音質面の指摘。「低音が薄い」「高域寄りでシャカシャカする」「音に厚みがない」といった声が多く聞かれます。ある価格.comのレビューでは「低音が薄く高域寄りで音に厚みがない。音場も広いとは言えず広がりが少ない」と評されています。

もう一つは時代への適合性。音楽のトレンドがローエンドを重視するブラックミュージック系に移行したこと、より現代的な選択肢(MDR-M1ST、ATH-M50xなど)が登場したことが背景にあります。あるブログでは「制作がデジタル上で完結する現在では作業用ヘッドホンとしての優先順位のアドバンテージはDTM=宅録だった当時ほどは強くなくなった」と分析されています。

これらの評価は、的を射ている部分があります。リスニング用途として評価すれば、「気持ちよく聴こえるヘッドフォンではない」という指摘は事実です。「音に広がりがある」「ノレる低音」といった要素を求める人には、このヘッドホンは向いていません。

ただし、ここで問われるべきは「何のために使うのか」という点です。


制作用ヘッドホンとリスニング用ヘッドホンの違い

制作用のモニターヘッドホンに求められる要件は、リスニング用途とは根本的に異なります。

リスニング用ヘッドホンは「心地よく聴こえること」が重要です。低音を豊かに、高音を煌びやかに、空間を広く感じさせる——そうした演出が価値になります。

一方、制作用モニターヘッドホンに求められるのは「正確さ」。音を加工し、調整し、最終的な出力を決定する作業において必要なのは、入力された信号をそのまま再現する能力です。研究者が計測器に求めるものと同じ。1kHzの信号を1kHzとして正確に出力してくれること。それが制作用モニターに求められる本質的な要件です。

MDR-CD900STの「中音域の解像度が値段以上に高い」「原音をそのまま出すような感じ」という評価は、まさにこの「正確さ」を指しています。あるレビューでは「微妙なニュアンスまでフラットに聴き取ることができ、音の分解力は非常に優秀」と評されています。

「低音が足りない」という批判は、裏を返せば「低音を過剰に演出していない」ということ。制作においては、この「演出のなさ」こそが必要な場面があります。


ポッドキャスト制作における「声の編集」

ポッドキャスト制作において、編集時間の大部分を占めるのは声の処理です。

ノイズ除去、コンプレッション、EQ調整、ラウドネス調整——これらの作業は、音楽のトレンドとは無関係に行われます。声の明瞭さ、聞き取りやすさ、長時間聴いても疲れない音質。こうした要素は、流行に左右されません。

さらに重要なのは「基準との比較」です。

ポッドキャストの音声は、-16LUFS(YouTube向け)や-14LUFS(Spotify向け)といった数値基準に合わせて調整されます。しかし、数値上のラウドネスと聴覚上の印象は必ずしも一致しません。同じ-16LUFSでも、BGMとのバランス、声のダイナミクス、全体の聞きやすさは異なります。

この「数値と聴覚のずれ」を判断するためには、自分自身の中に一定の基準が必要です。「この音量感なら適切」「このバランスなら聴きやすい」という判断軸。そしてその判断軸は、使用する機材が変わるたびに揺らいでしまいます。


「音の基準」を持つことの意味

制作において「音の基準」を持つことは、品質の一貫性を担保するための必須条件です。

たとえば、3年前に制作したエピソードと、今日制作したエピソードを並べて聴いた時。聴こえ方に違いがあるとして、その原因は何か。コンテンツの質なのか、編集技術の変化なのか、あるいは単に再生環境の違いなのか。

人間の耳は、環境に応じて感じ方を変えます。体調、年齢、聴取環境、直前に聴いていた音——さまざまな要因が聴覚に影響を与えます。こうした変動の中で「原因を特定する」ためには、変わらない基準点が必要です。

ヘッドホンという再生機器は、その基準点の一つになり得ます。同じヘッドホンで聴いているのに聴こえ方が違うなら、原因は自分の耳か、音源か、編集内容にある。ヘッドホンを変えてしまうと、この判断ができなくなります。

流行のヘッドホンを購入することで得られる「今の音楽に合った聴こえ方」は、制作の一貫性という観点からはリスクになり得ます。制作のたびに基準が変わる混乱は、長期にわたってコンテンツを制作し続ける上で避けたい事態です。


視聴環境と制作環境の非対称性

リスナーが使用する視聴環境は、制作者がコントロールできません。イヤホン、スピーカー、スマートフォンの内蔵スピーカー、車載オーディオ——あらゆる環境で聴かれる可能性があります。

この多様な視聴環境に対して、制作者は何をすべきか。

一つの答えは「あらゆる環境でテストする」こと。複数のヘッドホン、スピーカー、再生機器で確認し、どの環境でも破綻しない音を目指す。これは正しいアプローチです。

しかし、その前提として必要なのは「制作の基準点」です。基準がなければ、テスト結果をどう解釈すればよいかわかりません。「このスピーカーでは低音が出すぎている」という判断は、「本来の低音量」を知っているからこそできる判断です。

視聴環境は人それぞれ。だからこそ、制作側は一定の基準を設けた上で作業を行う必要があります。職人が自分の道具を大切にするように、制作者は自分の「基準」を守らなければなりません。


私がMDR-CD900STを選ぶ理由

ここまで述べてきた「音の基準」という観点は、必ずしもMDR-CD900STでなければ実現できないものではありません。自分自身にとっての基準が確立できるなら、他のヘッドホンでも構わない。それは事実です。

その上で、私がこのヘッドホンを選び続ける理由は以下の三点です。

第一に、長年製造され続けてきた信頼性。 35年以上にわたって同じ製品が供給され続けているという事実は、パーツの入手性やメンテナンス性において大きなアドバンテージです。イヤーパッドからヘッドバンドまで、すべてのパーツが入手可能。消耗品を交換しながら、同じ基準を維持し続けることができます。

第二に、15年以上の制作経験を通じて、このヘッドホンに耳が慣れていること。 「この音量感なら適切」「このバランスなら問題ない」という判断は、長年の経験を通じて身体化されています。今から別のヘッドホンに移行することは、この蓄積をリセットすることを意味します。

第三に、ポッドキャスト制作において音楽のトレンド性が重視されないこと。 低音を重視する現代の音楽制作においてMDR-CD900STが不向きという指摘は理解できます。しかし、声を中心としたポッドキャスト制作において、この特性はむしろ適しています。中音域の解像度の高さは、声の編集において有利に働きます。


まとめ:基準を持つこと、基準を守ること

MDR-CD900STが「時代遅れ」かどうかという問いに対する答えは、「何のために使うか」によって変わります。

リスニング用途、あるいは低音を重視する音楽制作においては、より現代的な選択肢を検討する価値があるかもしれません。一方、ポッドキャストのような声を中心としたコンテンツ制作においては、このヘッドホンが持つ特性は依然として有効です。

しかし、より本質的な問いは「自分にとっての基準を持っているか」ということです。

どのヘッドホンを選ぶかよりも、選んだヘッドホンを基準として使い続けること。流行に左右されず、一貫した判断軸を維持すること。それが、長期にわたって品質を担保するための条件です。

私はMDR-CD900STを基準として選びました。あなたが別のヘッドホンを基準として選ぶことも、もちろん正しい判断です。

重要なのは、基準を持つこと。そして、その基準を守り続けること。人間の耳って、思っている以上に信頼できないものなので。

記事を書いた人

アストライド代表 纐纈 智英

アストライド代表。「左脳と右脳のハイブリッド」を武器に、人の心の深層に迫るインタビュアー。行政職員として12年間、予算編成や徴収業務に従事した「論理的思考(左脳)」と、音楽コンテストでグランプリを受賞するなど「芸術的感性(右脳)」を併せ持つ、異色のバックグラウンド。これまでに200社以上の経営者インタビューを行った経験を活かし、経営者すら気づいていない「言葉にならない想い」を引き出して映像化する。

私たちアストライドは、経営者のインタビュー映像の制作に圧倒的な強みを持っています。
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