インタビュアーの視点 – 株式会社うおすけ|茶谷明樹氏
330年続く老舗が語る、素材との対話が生む経営哲学
三重県多気郡多気町で元禄元年から334年続く老舗、株式会社うおすけ。代表取締役の茶谷明樹氏は、鮎の甘露煮を中心とした清流文化を守り続けています。
清流文化を取り巻く環境
2022年5月の取材当時、コロナ禍による観光業の打撃が深刻でした。しかし、うおすけは伝統を守り続けていました。
三重県を流れる宮川は大台ケ原を水源とし、「日本一の清流」として知られます。この豊かな水環境が、日本で2番目の値段がつく高品質な鮎を育んでいます。
「宮川が大台ケ原があって、山がきれいなので、その清い水がすべてこの川に集まってくる」と茶谷氏は語ります。この風景そのものが、事業継続の前提条件です。
販売より仕入れを大切にする
「販売するという努力よりも、良い鮎を私どもが仕入れるという努力の方が大事だと思います」
茶谷氏のこの言葉には、売ることよりも、仕入れることに全力を注ぐという想いが込められています。良い鮎を仕入れることが、すべての始まりです。
鮎が泳いで見えるように
うおすけの鮎の甘露煮は、独特の串打ち技法で知られます。「鮎が泳いで見えるように」頭から尾にかけて串を打つことで、生臭さを除去しながら美しい姿を保ちます。
茶谷氏は18歳からこの技術を磨いてきました。「素手の方が細部まで自分の感覚が伝わる」として、熱い作業でも手袋を使いません。
「私は修行もしてませんし、誰かに教わったわけでもないです。父も私が32歳の時に他界してますから、私がものづくりを教えていただいてきたのは鮎とかこういう素材からだと思っております」
素材そのものを師として仰ぎ、その声に耳を傾け続けてきました。334年続く看板を背負うという責任感と苦悩の末に行き着いた重い言葉です。感覚と経験を自分のものにしていこう、しなければならない。一人の職人の世界観があります。
お客様が主役になる場所
「鄙茅」は、茅葺き屋根にこだわりをもつ店舗です。建築家と5年にわたって話し合い、「全席から川を見えるようにしてほしい」「私どものルーツである鮎漁が語れるお店にしたかった」という想いが形になりました。
茶谷氏のサービス哲学が印象的です。「こんな美味しいもの食べてくれというんじゃなくて、お客さんが珍しいもの食べさせてもらったなーとか、話が弾んだ、また写真を撮って友達に送ってみようかとか、私どもは脇役で、お客様が主役になっていただくそんな場所であってほしい」
お客様の体験の質を高めることで自然と価値を感じてもらう。茶谷氏の洗練されたホスピタリティの発想です。
レシピはない
「レシピはうちはないです。ただ親父が、『味をみろ』ってすすめて、この味やぞって言って。で僕が合わせたのを親父に見てもらったら『よし』。これだけは絶対妥協するなよ」
茶谷氏の言葉には、334年間継承されてきた技術の本質があります。レシピという明文化された知識ではなく、感覚で伝えられる暗黙知。
「同じレシピを違う人にしてもらっても同じものができない」という現実を受け入れています。だからこそ「この年で現場で頑張っています」と茶谷氏は語ります。
鮎と人生一緒
「一匹が一人のお客さん、また一匹が違うお客さんに行くんですよね。だから、どの一匹も私としては可愛い鮎だけど、鮎を何とかしてあげるっていうよりも、まあ鮎と一緒になって協力して。気がついたら目の前に鮎がいて。たぶん私が死んでいるときも目の前に鮎がいるのか。人生と一緒なんじゃないかなと思ってますね」
鮎という「仲間」との対話を通じて、茶谷氏は人生の意味を見出しています。鮎と共に生きてきた人生。この境地に至った経営者の言葉です。
時代を超える価値
茶谷氏の「販売努力より仕入れ努力」「素材から教わる」「お客様が主役」という想い。334年間継続してきた事業の持続性を支える哲学です。
技術革新やマーケットトレンドに振り回されることなく、本質的な価値創造に集中し続ける。その結果として、顧客に愛され、地域に根ざし、時代を超えて必要とされ続ける企業となっています。
アストライドのミッション
茶谷氏の「鮎から教わった」という経営哲学。334年続く老舗の重みと、一人の職人の生き方が重なり合います。
私たちアストライドは、経営者の想いを映像として記録し、その価値を未来に伝えていきます。自分自身のビジネスにとっての「鮎」とは何か。その声に、どれだけ真摯に耳を傾けているか。お客様を主役にする「脇役」としての覚悟を、どこまで貫いていけるか。経営者の想いと向き合い、その本質を見つめ続けます。
記事を書いた人

アストライド代表 纐纈 智英
アストライド代表。前職を含め地域企業を中心とした200社以上の経営者インタビュー映像を制作。現在は「左脳と右脳のハイブリッド」を掲げ、戦略設計から映像・Web・各種コンテンツ制作まで手がける。 これまで音楽家として楽曲提供、行政職員として12年間 制度運用・予算編成等に従事。その後、NPO法人、映像・マーケティング分野に転じ、現在に至る。現在は大学非常勤講師として映像編集ソフトの操作指導も行う。




























