「伊勢で作る」という矜持 – 株式会社伊勢萬が紡ぐ、革新と伝統の調和
焼酎からウイスキーへ──「最高峰」への果てなき挑戦
三重県伊勢市。神宮のお膝元のおはらい町の一角に一軒の酒造場があります。それが株式会社伊勢萬の内宮前酒造場です。代表取締役社長の村田光晴氏が語る創業の経緯には、日本の酒造業界の変遷そのものが刻まれています。
「当時はなかなか焼酎というのが一般化されてなくて、ウイスキーが全盛の時代でございました」。1970年代、焼酎メーカーとしてスタートした同社にとって、ウイスキーは憧れの「最高峰」。製造免許取得の壁は厚く、当時では珍しいウイスキー樽を用いた大麦焼酎のブレンドという革新的な手法で、その壁を乗り越えていきます。
この挑戦は単なる技術的な工夫にとどまらず、「ウイスキーに負けないものを作ろう」という強い意志として、後の同社の企業DNAを形作る根源につながっていきました。
伊勢萬を取り巻く環境
取材が行われた2022年5月は、日本のクラフト蒸留所が全国的に注目を集めていた時期でした。特にジャパニーズウイスキーの世界的評価の高まりとともに、地域密着型の小規模蒸留所が次々と誕生していた激動の時代です。
一方で、伊勢萬の歩みはこうしたブームよりもはるかに早い段階から始まっていました。焼酎製造から清酒、そしてウイスキーまで、半世紀近くにわたって着実に技術を蓄積してきた同社にとって、この時期は長年の取り組みが結実する好機であったといえます。
伊勢神宮のお膝元という立地は、年間約900万人の参拝客という恵まれた市場を提供します。同時に「神宮の伏流水」という自然の恵みも享受しており、おかげ横丁への出店も、観光客との直接的な接点を生み出す重要な戦略となっています。
「本当にファンの方がたくさん付くような」こだわりの製法
内宮前酒造場で杜氏を務める船木健司氏の工房には、30年近い四季醸造への取り組みが息づいています。「大吟醸などを製造するときは、前日より0.2度、冷却の設定を落とすとか」。小さなタンクゆえに可能かつシビアな温度調整が、品質の安定化を支えています。
船木氏が特に重視するのは「新種」への挑戦。「新しいものをどんどん出していくというのがすごく大事」という言葉からは、伝統的な酒造りの枠組みを大切にしながらも、常に革新を求め続ける姿勢が伝わってきます。
お客様の反応を直接聞ける店舗併設の利点を活かし、「どういった種子が受けるか、このお酒がどういった評価かを聞いて、そういうものに徐々に寄せていった」というプロセスは、顧客との対話を通じた品質向上の実践そのものといえます。
「お客様をしっかりもてなす」という経営哲学
村田社長が語る創業期のエピソードには、同社の経営哲学が凝縮されています。おかげ横丁のオープンに合わせて出店したものの、当初はお客様が少なく「どうしたらいいんだろうと毎日悩んで」という苦労を重ねたとのこと。
そんな中で先代オーナーが示した方針が、「お客様は少ないけれども、そのお客様をしっかりもてなすんだ。これという逸品を作れ」という言葉でした。この教えは現在も同社の根幹を成しており、「口コミで広まったものというのが一番強い」という信念となって受け継がれています。
「いろんなものに挑戦していきたい」という未来への視座
取材当時、同社では、バーボン樽に加えてシェリー樽を用いた熟成も検討されていました。「今度シェリー樽を仕入れて、ちょっと作ってみたい」という村田社長の言葉からは、ウイスキー造りの更なる深化への意欲が感じられます。
「本当に年数がかかる事業ですから、それがでも逆に面白いともいえる」。この長期的な視点こそが、同社の強みでもあり、魅力でもあります。十数年前から計画していたことが「やっと昨年実現できた」という忍耐強さは、真の「本物作り」に必要不可欠な要素なのかもしれません。
一方、技術的な側面では、「清酒で行っている技術が焼酎にも転用できるし、焼酎でやっていることが清酒でも活用できる」という相互作用が、同社の製品開発を支えています。
時代を超える価値
伊勢萬の取り組みが現代に与える示唆は深いものがあります。画一化が進む現代の製造業において、同社が体現する「地に根ざした本物作り」は、持続可能な事業運営のひとつの理想形を提示しているのではないでしょうか。
技術革新への挑戦と伝統的な手法の尊重──この一見矛盾する要素を調和させる知恵は、あらゆる業界の経営者にとって学ぶべき教訓といえるかもしれません。また、「お客様をしっかりもてなす」という姿勢は、デジタル化が進む今だからこそ、より一層重要性を増しているように思われます。
そして何より、「伊勢で作る」という地域アイデンティティを製品品質の源泉として位置づける発想は、地方創生の新たな可能性を示しているといえます。観光資源と製造業の融合、伝統と革新の調和、そして長期的視点に基づく品質への投資──伊勢萬の歩みは、地域に根ざした企業の理想的な成長モデルを物語っています。
記事を書いた人

アストライド代表 纐纈 智英
アストライド代表。前職を含め地域企業を中心とした200社以上の経営者インタビュー映像を制作。現在は「左脳と右脳のハイブリッド」を掲げ、戦略設計から映像・Web・各種コンテンツ制作まで手がける。 これまで音楽家として楽曲提供、行政職員として12年間 制度運用・予算編成等に従事。その後、NPO法人、映像・マーケティング分野に転じ、現在に至る。現在は大学非常勤講師として映像編集ソフトの操作指導も行う。

































