インタビュアーの視点 – 株式会社ナベル|永井規夫氏

株式会社ナベルは、三重県伊賀市ゆめが丘に本社を構える、1972年創業の蛇腹専業メーカーです。代表取締役社長の永井規夫氏は、2代目として創業者の哲学を継承し、素材開発から設計・製作まで一貫対応する技術力を武器に、工作機械、ロボット、半導体製造装置、医療機器など、多岐にわたる分野で蛇腹を提供しています。

蛇腹(ベローズ)市場の現状

蛇腹(ベローズ)は、光学機器、医療機器、工作機械、半導体製造装置、ロボットなど、多岐にわたる産業で使用される機能部品です。工作機械市場では、自動化・IoT化の進展により、保護カバーとしての蛇腹需要が拡大。ロボット市場の成長、特に産業用ロボットや協働ロボットの普及に伴い、ロボットカバーとしての蛇腹需要も急増しています。半導体製造装置市場では、クリーンルーム環境での防塵・防汚染用途として蛇腹が不可欠な部品となっています。

市場の課題は、原材料価格の変動、顧客の多様化する要求(耐熱性、耐薬品性、難燃性など)への対応、そしてグローバル競争の激化。こうした環境の中で、ナベルは後発メーカーとして、既存の大手メーカーとの競争に直面しながらも、独自の価値を提供し続けています。

カメラのジャバラから学んだ本質

ナベルは、創業から50年の歴史を持つ企業です。スタートは、カメラのジャバラでした。

「カメラのジャバラを約17年間ぐらい、ずーっと突き詰めていって、スウェーデンのハッセルブラッドさんのとか、富士フイルムさんというような製版カメラの業界で評価をいただくことになりました」

永井氏は、創業者の時代からの歩みをこう振り返ります。その後、円高不況という厳しい状況の中で、島津製作所のMRI(当時の先駆的な医療機器)のテーブル部分のカバーという新しいニーズに出会い、事業領域を拡張。半導体製造装置、工作機械のカバーへと、広がっていきました。

「美しいジャバラを作る」という哲学

永井氏は、2代目を継ごうと思ったきっかけについて、こう語っています。

「初代がやっていた事っていうものが、今回のように先細りになっていくと感じた時には、すべてそれを否定して置き換えようと考えるのが普通なんですね。ところが私は、もしかしたらここに何か学べることがないのかなって思いました」

カメラのジャバラを作るビジネス展開に、ナベルのビジネスのエッセンス、すなわち根本的なものがあるのではないか。そう考えた永井氏が見出したのは、創業者の哲学でした。

「美しいものを撮ったりだとか、正しい記録を残すカメラの部品なんだから、そのもの自体も美しくなければならない」

創業者はこの哲学を徹底していた。そして、「美」という価値は、世界共通の価値観だと永井氏は語ります。

美しいものは偶然にできない

「美しいものはなかなか簡単にできないんです。偶然にできないんです。たまたま綺麗な絵が描けたっていうのはないんですよ」

永井氏の言葉は、「美しいジャバラ」を実現するためのプロセスを示しています。

まず、最適の素材を開発する。次に、それを形にするための製法を開発する。カメラのジャバラで学んだ「正しい素材と正しい作り方」、製法と合わさって、そして作り手の気持ち——エンドユーザーが使われる方が嬉しいなと思ってもらえるように作ろうという気持ちが乗っかって、初めて綺麗な蛇腹ができあがる。

「これは真理だと思います。私たちが目指しているところです。これから50年後も同じことをやっていくと思います」

永井氏は、この哲学を「真理」と呼びます。50年前にカメラのジャバラから学んだ本質が、工作機械やロボットという全く異なる領域においても、普遍的な価値として機能している。この確信が、ナベルの経営を支えています。

「なぜ」から始める後発メーカーの強み

ナベルは、後発メーカーです。既存の大手メーカーが市場に君臨する中で、どのように存在し続けるのか。永井氏は、「なぜ」から始める素人の視点を武器にしています。

「子供がなぜそういうこと言うのって、やーこれは昔からって親は言っちゃいますけど、その親の感覚というのが実は市場にあります。『いやーかわかんないけどこんなもんなんだよ』っていうところがあるんですよ。ところがそれは実は、回答じゃないんですよ」

市場の「当たり前」を疑う。顧客が満足していないところを素直に聞ける。それが、後発メーカーの大特権だと永井氏は語ります。

この姿勢が、ナベルの製品開発に通底しています。素材と製法、その組み合わせの中から、顧客のニーズに合わせて提案する。防塵、防水、難燃性など、顧客の要望に合わせた素材を開発し、設計から製作まで一貫対応する。1品からでも対応する。この柔軟性が、「お客さんが困っていることを解決する」というナベルの存在意義を支えています。

特許による差別化と人材育成

永井氏は、特許の重要性についても語っています。

「特許というのは中小企業の課題すべてを解決する方向に、運用の仕方によってはなるっていうふうに思っています。世界で一つしかないということは、オリジナリティというものをアピールする最高の武器じゃないですか」

しかし、永井氏が重視しているのは、特許そのものではありません。特許を出すプロセスに注目しています。

今までの技術のどこが問題で、それをどう解決したのかをきちっと説明できて、しかも特許の権利の範囲を構成要件の構成からできるだけ広く捉える。そして審査請求をして合格すれば、これほどの自己実現、もしかしたら自己発見があるかもしれない。

「これは組織的な課題を人材育成と捉えた場合、特許料には余りある効果がある。企業は人なりですから」

特許出願のプロセスが、人材育成のツールとして機能する。永井氏は、この視点を持っています。

人づくり=ナベルの目的、存在意義

「どこの会社に行っても通用する、そういう社員を育てるように私宣言しまして。だから人づくり=ナベルの目的、存在意義だ」

永井氏のこの言葉は、ナベルの本質を示しています。

個人としての当事者意識と、会社としての当事者意識が重なっている部分がある。決して相反することじゃない。どちらも当事者であれば、それは責任と誇りと覚悟がいるけれど、いい人生が送れるんじゃないか。そういう思いを持つメンバーを増やしたい。

「美しいジャバラ」を追求する過程そのものが、人を育てる。作り手の気持ちを育むことが、すなわち「人づくり」であり、それがナベルの存在意義となっている。

多様性がもたらす思考の深まり

永井氏は、多様性の重要性についても語っています。

「多様な考えがあればあるほど、思考が深まるじゃないですか。ゼロワンじゃないんですよ。二進法のオン・オフじゃないわけよ。そこが私がダイバーシティが必要なんですよということの本当の意味なんです」

多様性を否定する形も含めて、全体の中でものを言って真実を伝達する。単純な二項対立ではなく、多様な視点から「美」を探求する。この姿勢が、ナベルの組織文化の特徴です。

ニッチ市場での挑戦

「蛇腹というカバーというはニッチなところなんですけれども、その範囲内であっても今まで人が気づかない、『これがあったらええのになぁ』と思うことを、いやいや方ちゃいます。僕はだから楽しいですね」

永井氏は、ニッチ市場での挑戦を「楽しい」と語ります。

「こんなもんだ」と言っている社会に対して、「どんなもんだ」と言いたい。昨日までなかったことを提案しても、何も不思議じゃない。一個一個開発すれば、一個一個楽しい。この姿勢が、ナベルの製品開発を支えています。

100年後を見据えて

「私たちが今作っているものというのは絶対に100年後にはない。私そう思っています」

永井氏のこの言葉は、一見すると「これから50年後も同じことをやっていく」という言葉と矛盾するように見えます。しかし、ここにナベルの経営哲学の本質がある。

製品は変わる。技術は変わる。市場は変わる。しかし、「美しいジャバラを求めて」という哲学、「なぜ」から始める姿勢、「人づくり」という存在意義——これらの本質は変わらない。本質を継承しながら、形を変え続ける。この姿勢が、ナベルの継続的な成長を支えています。


アストライドのミッション

株式会社ナベルの「美しいジャバラを求めて」という哲学。その根底にあるのは、創業者から受け継いだ「正しい素材と正しい作り方、そして作り手の気持ち」という本質への確信です。

「人づくり=ナベルの目的、存在意義」——永井氏のこの言葉には、50年の歴史を次の50年につなげる覚悟が込められています。どこの会社に行っても通用する社員を育てる。その過程で、「美しいジャバラ」が生まれる。製品と人材育成が、分かちがたく結びついている。

私はこれまで200社以上の経営者インタビューに携わり、こうした経営者の想いに向き合ってきました。数字では測れない「想い」こそが、企業を永続させる源泉である——その信念のもと、経営者の言葉を映像として記録し、次の世代へと伝えていくことが、アストライドの使命です。

永井規夫氏の言葉には、2代目として創業者の哲学を継承し、それを新しい領域に展開してきた経営者の覚悟が刻まれています。「物事の本質、何を学んだかな」をいつも省みる——その姿勢は、この映像の中に確かに残されています。価値を多くの経営者と共有し、未来への希望を共に描いていくことが、私たちの使命です。

記事を書いた人

アストライド代表 纐纈 智英

アストライド代表。前職を含め地域企業を中心とした200社以上の経営者インタビュー映像を制作。現在は「左脳と右脳のハイブリッド」を掲げ、戦略設計から映像・Web・各種コンテンツ制作まで手がける。 これまで音楽家として楽曲提供、行政職員として12年間 制度運用・予算編成等に従事。その後、NPO法人、映像・マーケティング分野に転じ、現在に至る。現在は大学非常勤講師として映像編集ソフトの操作指導も行う。