インタビュアーの視点 – 万協製薬株式会社|松浦信男氏

1960年、兵庫県神戸市で創業した万協製薬株式会社。代表取締役社長の松浦信男氏は、1995年1月17日の阪神淡路大震災で工場が全壊し、廃業寸前の危機を経験しました。先代から経営を引き継ぎ、三重県多気町に移転して3人での再スタート。現在は、約120社のクライアントに年間500種類、4千万個以上のスキンケア製品を納入する受託製造企業として成長を続けています。

スキンケア業界の現状

日本のスキンケア市場は、高齢化社会の進展と健康意識の高まりにより、継続的な成長が見込まれています。外用薬市場では、処方箋医薬品から一般用医薬品(OTC)へのシフトが進み、化粧品業界では機能性化粧品や医薬部外品の需要が拡大しています。

業界では、AI・機械学習、デジタルツイン、IoT・センサー技術、ロボティクスなどの最先端技術の導入が進んでいます。一方で、原材料価格の変動、規制強化への対応、環境対応とサステナビリティへの要求、人手不足と技術継承の課題など、多くの課題に直面しています。

このような業界環境の中で、万協製薬は柔軟な生産体制を維持しています。

僕はいまだに1995年1月17日のまま

「僕はいまだに1995年1月17日のまま」

松浦社長はそう語ります。震災で失ったものを取り戻し、その経験を意味あるものにしたいという想いが、企業の価値観と行動の源泉となっています。

「みんな会社のために頑張っていると思っていたが、自分だけで、後の人たちはみんな生活の糧としか自分の会社を見ていなかった。万協製薬がないような世の中が正しいのか、万協製薬が必要なような世の中が正しいのかを、一身をかけて証明しようと決意した」

この「必要とされる存在であることの証明」が、万協製薬の経営理念「人に必要とされる会社を作る」の核心です。

受託製造への転換

もともとは自社ブランドの商品を専売の販売会社を通じて販売していましたが、震災で工場以外の設備が全部壊れてしまいました。創業35年のベテランの会社でしたが、ゼロからいろんな会社のオーディションを受け続けたといいます。

「専門のメーカーだから自分たちで開発し製造できると思っていたが、その人たちのほうが開発に苦労していた。この商品でこういうふうに改良したらもっと良くなりませんかということで、逆提案するようになった」

もともとメーカーだったから開発能力がある。彼らのチームの一員となって、問題解決を担い、彼らはマーケティングの力を持っています。この組み合わせでいけば会社を復活させられると考えました。

「製薬会社って、研究開発なんか設備投資が繋がり、常にお金がめちゃくちゃいる。だから世界史の中で、1回潰れて再建した会社を、たった3人で立て直した人いない。僕が唯一の存在だ」

社員一人一人をプロデュース

「経済減速のなかで成長しないと証明にならない。それをはじめにめちゃめちゃ考えて、なおかつ社員についても同じく、自分の人生を豊かにするために僕もそばで働く、そういう人一人でも多く作りたいという、この2つの想いで経営している」

松浦社長はそう語ります。

社員採用のエピソードがあります。

「地元の学校で学んでいる人に、自分が作った歌を定期的に歌ってくれるなら採用するという。こうやってる会社って、なかなかない」

松浦社長は「松浦が育てる人」ということで、プロデュースの活動を会社の中で実施し、社員の個性を活かし、一人一人の成長を支援しています。

「みんな自己をプロデュースする能力は極めて低い。僕が万協をやっていることの最大の利点は、俺はすごい奴のすごい行動がわかるということ」

母への証明

松浦社長の多様な活動は、フィギュア博物館(3万点以上展示)の運営、音楽活動(作詞作曲)、地域活性化への取り組み(コスプレイベント、ごかつら池ふるさと村の指定管理)などに及びます。

「僕は、子供の頃からのこと全部つながっているように見たい」

「母がもし生きていたら、僕のことを立派な人だと今でも言ってくれるだろうか」

松浦社長のこの深い述懐が、いまだに自分の人生は本当に意味があるものなのか問い続けていることを窺わせます。しばしば人は年齢を重ねるにつれ、思い出の中で、自分の想いを変えていきますが、松浦社長は今だに1995年1月17日のままです。

自分がそうだと思うことは続ける

「自分がそうだと思うことは続ける。意味があると思う」

松浦社長はそう語ります。

「最初はなかなか理解されないことでも、自分がそうだと思うことは続ける。それが最終的にどこまで普遍性を持つかどうかは、後世の人たちが判断すればいい」

万協製薬の物語は、震災という未曾有の危機を乗り越え、「人に必要とされる会社を作る」という理念を実現するための試みです。


アストライドのミッション

「人に必要とされる会社を作る」

万協製薬の経営理念は、私たちアストライドの使命と重なります。松浦社長の「僕はいまだに1995年1月17日のまま」という想い。震災から3人で再スタートし、約120社のクライアントを持つまでに成長した軌跡。これらが企業の価値を支えています。

私たちアストライドは、これまで携わった200社以上の経営者インタビューを踏まえ、現在も経営者の想いを映像として記録し発信することを使命としています。松浦社長が「最初はなかなか理解されないことでも、自分がそうだと思うことは続ける。それが最終的にどこまで普遍性を持つかどうかは、後世の人たちが判断すればいい」と語るように、私たちもまた、経営者の想いを記録し、後世に継承していく役割を担っています。

「異端の執念」という言葉が象徴するように、他者に理解されなくとも信じた道を歩み続ける姿勢。その想いを映像として記録し、未来に継承していくこと。それが、私たちの果たすべき役割です。

記事を書いた人

アストライド代表 纐纈 智英

アストライド代表。前職を含め地域企業を中心とした200社以上の経営者インタビュー映像を制作。現在は「左脳と右脳のハイブリッド」を掲げ、戦略設計から映像・Web・各種コンテンツ制作まで手がける。 これまで音楽家として楽曲提供、行政職員として12年間 制度運用・予算編成等に従事。その後、NPO法人、映像・マーケティング分野に転じ、現在に至る。現在は大学非常勤講師として映像編集ソフトの操作指導も行う。