インタビュアーの視点 – 井村屋グループ株式会社|浅田剛夫氏

創業125年。井村屋グループは、あずきバー、肉まん、あんまんという国民的ヒット商品を生み出してきた老舗です。三重県津市に本社を置き、冷凍食品市場でトップシェアを誇る中華まん、累計30億本以上を販売したあずきバーなど、日本人の食卓に深く根付いた商品を提供し続けています。

2021年、この老舗が、三重県多気町の商業施設VISONに、日本酒事業「福和蔵」と「菓子舗 井村屋」という2つの店舗を立ち上げました。

和菓子・日本酒業界の現状

井村屋が手がける和菓子市場は約4,500億円規模、日本酒市場は約3,200億円規模と推定されています。しかし、両市場ともに課題を抱えています。

和菓子市場は、若年層の和菓子離れや高齢化の影響で縮小傾向にあります。特に、上生菓子や茶菓子といった伝統的な和菓子は、製造に熟練した技術が必要でありながら、後継者不足が深刻化しています。

日本酒市場も国内消費は長期的な減少傾向にあり、地方の小規模な酒蔵の廃業が相次いでいます。継ぎ手を失い、何代も続いた酒蔵が消えていく。そうした現実が、各地で起きています。

「忍びない」

福井酒造場という酒蔵が、伊賀市にありました。事業の継続が難しくなり、継ぎ手を探していた酒蔵です。

浅田剛夫会長(撮影当時)は、こう語っています。

「事業の継続がなかなか難しいという。どこも引き受けてくれないから、それを無くすのには忍びない」

「忍びない」。この一言に、地域の文化を守りたいという想いが込められています。井村屋がやるべきことなのか。その問いは、浅田会長の中でずっと続いていたといいます。そこに、「地元だからやってほしい」という声が届いた。それが、きっかけでした。

「福和蔵」という店名には、福井酒造場の「福」と、井村屋創業者 井村和蔵の「和蔵」が重ねられています。過去と現在を接続し、未来へと紡いでいく。この命名に、浅田会長の経営への姿勢が凝縮されています。

不易流行を生きる

浅田会長が経営の中心に据えるのが、松尾芭蕉の「不易流行」という理念です。

不易とは変わらないもの。流行とは変化するもの。この二つを統合することが、井村屋の経営姿勢の核にあります。

井村屋はこれまで、冷凍食品という新しい分野を切り拓きながら、あずきという素材を守ってきました。日本酒事業を始めながら、福井酒造場の歴史を継承しました。和菓子の原点に立ち返る「菓子舗 井村屋」を実現しながら、四季醸造という新しい技術を取り入れました。

変わらないものを守りながら、変化し続ける。この矛盾を抱えながら歩み続けること。それが、125年という時間を経てきた企業の姿勢かもしれません。

身土不二

「三重を考えてみると、三重では良いお米がとれて、良い水があって」

浅田会長は、「テロワール」と「身土不二」という言葉を繰り返します。身土不二とは、身体と土地は一体であり、その土地で採れたものを食べることが健康につながるという思想です。

三重県は、伊勢神宮を頂点とする「聖なる食」の伝統を持つ土地です。松阪牛、伊勢海老、伊勢うどん、赤福。全国的に知られる食ブランドが数多く生まれています。伊賀市は松尾芭蕉生誕の地であり、伊賀米、伊賀酒の産地でもあります。

「福和蔵」は、この土地の豊かな風土が育む、清らかな水と良質な酒米を使った酒造りを行っています。テロワールに根差した純米酒と純米吟醸酒。土地と身体を一体化させる試みが、ここにあります。

発酵という軸

日本酒事業は、あずきバーや肉まんとは無関係に見えるかもしれません。しかし、浅田会長は、井村屋の事業には「発酵」という共通項があると語ります。

「肉まん、あんまんの麹というお酒のための発酵ですので、事業として具体化したかなという感じのイメージがありました」

肉まん、あんまんの生地は、発酵によって作られます。日本酒は米の発酵によって作られます。多角化に見える井村屋の事業展開は、「発酵」という一つの軸で貫かれています。

もろみが接続する二つの事業

「福和蔵」と「菓子舗 井村屋」を接続するのが、「酒々まんじゅう 芳醸菓(ほうじょうか)」です。醸造過程で生まれる「もろみ」を使った、芳醇な酒まんじゅう。

「一番香りの高くて、甘味成分が多いときに取り出すということを意識してますので。私も和菓子に携わっていましたので、これくらいがいいかなっていうタイミングがマッチングしたんです」

「酒倉だけでやってるんでしたら他の酒蔵と変わらなくなりますので。ここで使ったものを菓子舗 井村屋で販売することは一貫性があって面白いんじゃないかなと思いますね」

日本酒と和菓子。二つの事業を接続することで、井村屋は他にはない独自の価値を生み出しています。

子供に名前を付けるように

「まず自分たちで作ったお菓子に名前をつけよう。菓名(かめい)って言うんですけど、お菓子の命ですね。自分たちで考えなさい」

社員に商品名を考えさせる取り組みが、「菓子舗 井村屋」では行われています。浅田会長は、商品名を付けることを、子供に名前を付けることと同じだと語ります。

「自分の子供に名前を付ける、そこには願いがこもってるじゃないか。商品名も一緒でしょ」

ある社員は、「おとづれ」という あんころ餅を開発しました。あんこの中にシャリシャリした食感を入れ、伊勢神宮の玉砂利を歩いた思い出とともに食べてもらいたいという願いを込めたといいます。

「自分が考えた名前でそれが通ったのが一番幸せで、嬉しく、愛着を持って今販売しております」

社員が商品に命名することで、深い当事者意識が生まれる。商品開発を超えて、社員の人生と仕事が重なっていく。そうした営みが、ここにあります。

ものづくり、食産業、地域

井村屋は、和菓子、冷凍食品、日本酒と、一見異なる事業を展開しています。しかし、浅田会長は、常に「コア」を意識してきたと語ります。

「多角的に出してますけども、コアを忘れてないんですよ。ものづくり、食産業、地域、というところがですね、すごくそのブレていないポイントなんですよ」

「少し企業として成長してきたから、不動産や流通とか、そういう事業にも入っていこうかという考えはないんですよ」

「ものづくり」「食産業」「地域」。この3つを守る限り、商品や事業が変わっても、井村屋は井村屋であり続ける。それは、特定の商品や技術ではなく、「姿勢」を守るということです。

楽しかったですよ

「不易流行、積極誠実進取という考え方を大事にしながら、そこに新しいものをどう付加するかというのは楽しさですよ。こちらが楽しくないものが、お客様に楽しみが伝わるわけじゃない」

「こんなものがあったらいいねとか、こういう風なところで売れたらいいねとか。このパッケージは面白いよねとか、まあ言ったら、楽しむとか面白がる気持ちは、開発者にとっては絶対必要だと思う」

映像の最後、浅田会長はこう締めくくります。

「結局つまるところ、そういうことに取り組みたいという情熱ですよね。その情熱の深さとか多さとか厚さとかいうのが、新しい商品を生み出したりする力なんですよね」

「だから、いろんなことをテーマとして与えられて取り組んできました。追い込まれてるとかね、こんな仕事をさせられてるとか、思ったことないですよね。楽しかったですよ」

「楽しかったですよ」。この言葉で映像が終わります。

義務や責任を超えた、「楽しさ」「面白がる気持ち」。それが、125年という時間を紡いできた経営者の言葉です。変わらないものを守りながら、変化し続ける。その矛盾を抱えながら歩み続けることそのものが、浅田会長にとっての「楽しさ」なのかもしれません。

アストライドのミッション

福井酒造場の過去と、井村屋の現在と、福和蔵の未来を接続すること。創業者 井村和蔵の想いと、現在の井村屋と、未来の井村屋を接続すること。

浅田会長の経営は、「時間を紡ぐ」経営です。

松尾芭蕉は、伊賀市出身です。その芭蕉が唱えた「不易流行」という理念を、同じ三重県の企業である井村屋が経営の中心に据えている。地域の文化的な土壌が、浅田会長の姿勢を形成しているように感じます。

「楽しかったですよ」という言葉。この言葉には、125年という時間の重みと、経営者としての充実感が込められています。

アストライドはこれまで携わってきた、200社以上の経営者インタビューをふまえ、引き続きこうした経営者の想いを映像として記録し、未来へと継承する活動を続けています。経営者の言葉には、数字や戦略では測れない価値があります。その価値を、映像という形で残し、次の世代へと伝えていく。それが、私たちの使命だと考えています。

記事を書いた人

アストライド代表 纐纈 智英

アストライド代表。前職を含め地域企業を中心とした200社以上の経営者インタビュー映像を制作。現在は「左脳と右脳のハイブリッド」を掲げ、戦略設計から映像・Web・各種コンテンツ制作まで手がける。 これまで音楽家として楽曲提供、行政職員として12年間 制度運用・予算編成等に従事。その後、NPO法人、映像・マーケティング分野に転じ、現在に至る。現在は大学非常勤講師として映像編集ソフトの操作指導も行う。