インタビュアーの視点 – 参宮ブランド「擬革紙」の会|堀木茂氏
三重県度会郡玉城町で活動する伊勢擬革紙の会。代表の堀木茂氏を中心に、地元有志が集まり、一度途絶えた擬革紙の技術を再興しようと取り組んでいます。和紙に油を塗り、型紙で絞ることで革のような風合いを作り出す擬革紙。江戸時代から明治時代にかけて、伊勢神宮参拝のお土産として人気を誇りました。
伝統工芸の現状
江戸時代、食肉の文化がなく、革は非常に高価な貴重品でした。その代わりとなる素材として開発された擬革紙。中でも煙草入れは、伊勢神宮参拝のお土産として爆発的な人気を誇りました。明治時代にはヨーロッパでも人気があり、壁紙や本の装丁として盛んに輸出されていたそうです。
しかし、その後の紙煙草への変遷や新素材の誕生などを受け、擬革紙は衰退。製法が口伝であったことから、技術の継承はされませんでした。
蔵から見つかった先祖の遺産
堀木氏は、自宅の蔵を整理する中で、数多くの擬革紙製品を発見しました。いわれを調べる中で、先祖である堀木忠次郎が開発したものであることが分かります。
「1684年、貞享元年と言われているんですが、そのときに私の先祖の堀木忠次郎というのが、油紙を加工して仕上げ、そしてそれを煙草入れに仕立て上げたら、非常に好評であったと」
明治時代の製品も残っており、手触りも良く、色もほとんど昔のまま。その状態に堀木氏は驚いたと言います。日本人の知恵の結晶である擬革紙を復活させられないか。その想いから、研究が始まりました。
型紙の製作という難題
擬革紙の製造には、型紙という極めて高度な技術が必要です。和紙を2枚張り合わせて凹凸模様を作る型紙の製作が、擬革紙の品質を左右します。
「型紙の作り方が分からなくて。昔の型紙を市の研究機関で分析を依頼して、その結果、漆を使ってたんですね。漆を使っていると我々は使えないし、悩んでたら、この玉城町や松阪の方が集まって来ていただいて、みんなで研究して、形作ることができるようになったんですけども」
伝統的な漆を使った製法を、現代の技術で再現する。地元の有志が集まり、試行錯誤を重ねました。
1年かかる製造プロセス
1枚の擬革紙に約1年かかります。型紙を手で一歩一歩つけ、型紙を支えながら、油紙を塗っては乾かす作業を約100回繰り返す。
「6回も8回の後、方向を変えながら絞っていく。そうすると、細かいシワができてくるんですね。その絞り方によって、紙も丈夫さが増す。そして、手触りが良くなってくる」
染め方にしても絞り方にしても、やはり熟練がいる。堀木氏はそう語ります。
古い擬革紙の鑑定を依頼されることもあるそうです。しかし、ほとんどが革。顕微鏡で見ても、革か擬革紙か分からないほど、革に非常に近いものだと言います。
「擬革紙でないとできないもの」
「なくしてしまったら非常にもったいない。擬革紙でないとできないというものを見つけたい。皆さんにも色々見つけてほしいなと思うんですよね」
堀木氏のこの言葉には、技術を失うことへの危機感と、その技術でしか実現できない価値への希求が込められています。
動物由来の革を使用しない植物由来のヴィーガンレザーとしての新たな価値。伝統工芸が、新時代のサスティナブル商品へ。まさに温故知新です。
アストライドのミッション
堀木氏は、先祖が開発した技術を現代に蘇らせようと取り組んでいます。その取り組みは、個人の事業ではありません。玉城町や松阪の方々が集まり、みんなで研究を重ねてきました。
「擬革紙でないとできないというものを見つけたい。皆さんにも色々見つけてほしい」
この言葉には、技術の再興を社会全体の取り組みとして位置づける姿勢が表れています。
私はこれまで、200社以上の経営者インタビューに携わる中で、数字やデータでは測れない「想い」こそが、事業を永続させる源泉であることを実感してきました。
堀木氏のように、先祖から受け継いだ技術を現代に蘇らせ、次の世代に伝えていこうとする。その姿勢を映像として記録し、未来に伝えていくことが、私たちの使命です。
記事を書いた人

アストライド代表 纐纈 智英
アストライド代表。前職を含め地域企業を中心とした200社以上の経営者インタビュー映像を制作。現在は「左脳と右脳のハイブリッド」を掲げ、戦略設計から映像・Web・各種コンテンツ制作まで手がける。 これまで音楽家として楽曲提供、行政職員として12年間 制度運用・予算編成等に従事。その後、NPO法人、映像・マーケティング分野に転じ、現在に至る。現在は大学非常勤講師として映像編集ソフトの操作指導も行う。

































