インタビュアーの視点 – 株式会社タナカ|田中俊徳氏
株式会社タナカは、三重県四日市市高浜新町に本社を構える、1912年(明治45年)創業のテント・シート・産業資材の専門企業です。代表取締役の田中俊徳氏は、「誠意を尽くす」をモットーに「お客様第一主義」を実践し、110年以上にわたり地域産業に貢献してきました。
テント・シート・産業資材市場の現状
テント・シート市場は、建設業、製造業、物流業、イベント業など、多岐にわたる産業で使用される機能資材です。工事現場の雨よけや資材保管用テント、工場内の空間間仕切り、物流倉庫、イベントテント、災害時の避難所や仮設倉庫など、その用途は多様化しています。
市場の課題は、原材料価格の変動、顧客の多様化する要求(耐候性、難燃性、防塵性、遮光性など)への対応、そしてカスタマイズ対応と効率化の両立です。大手メーカーは標準品の大量生産でコスト競争力を確保する一方、中小メーカーはカスタマイズ対応と地域密着型サービスで差別化を図っています。
四日市市は、三重県最大の工業都市として発展してきました。石油化学コンビナートの立地、自動車関連産業の集積により、産業資材の需要が高い地域です。タナカは、この地域の製造業企業との長期的な取引関係を構築し、地域の産業構造の変化に対応しながら、事業を継続・発展させてきました。
雨合羽からテントへ——110年の歩み
タナカの創業は、雨合羽の販売から始まりました。
「もともとは雨合羽が発祥で、そういう雨具関係が元だというふうには聞いています」
田中氏は、創業の経緯をこう語ります。四日市コンビナートが出来上がってくるにつれ、大型テントや荷さばき場など、産業資材への需要が高まりました。雨合羽の防滴技術を切り口に、時代や地域のニーズに合わせてテント関連業務に発展。現在は、産業資材や工業用品など業務用品の卸も行い、事業領域を拡大しています。
縫製業務は、1990年に分社化した株式会社タナックスが担当。2009年に完全分社化し、大型テント・シート・産業資材の縫製・溶着加工を専門に実施しています。生産から設置までグループ内で一貫させることで、効率化を実現しました。
経験でしか対応できない仕事
映像の中で、田中氏はテントの施工について語っています。
顧客がどういう用途で使いたいかという部分から、形状を考え、鉄骨のサイズや大きさ、縫製まで、顧客の要望に合わせて設計する。「やっぱり縫製あってのテントやと思いますね。素材だけではテントでありませんから」——縫製技術がテントの品質を左右します。
ゴミ置き場の上屋テント。天井と両側面と後ろ、全部バラバラのパーツを、1枚1枚しっかりと引っ張ってきれいに貼り、隙間を丁寧に仕上げていく。1メーターのピッチを、引っ張った時に1メーターになるように、素材の伸び率を計算して微妙に調整する。
「経験上といいますか、この素材で引っ張ればどれくらい伸び率っていうのを考えて」
この言葉には、110年の歴史と経験から培われた技術が込められています。取り付けに行く時は、緊張しながら、見るのも心配なぐらいだと田中氏は言います。
軽トラックの幌も同様です。サイズも違えば、脱ぎ方も違う。張りも違う。「これはもう本当に経験しかない」——そう語る田中氏の言葉は、標準化やデジタル化では代替できない、職人的な技術の本質を示しています。
工業設備のシュートなど、複雑な形状の製品もある。上が丸くて下が四角、センターが2センチずれていて、こっちは10センチずれている。しかも回転する構造で、上と下は開いている。最初のイメージでは想像できないような形が作られる。簡単な型では取れないので、試行錯誤しながら作り上げていく。
「いろんなものを、いろんな形でつくるという楽しさはある」
作る人間でないと分からないところがある。その感覚を失ってしまうと、この商売は成り立たない。田中氏はそう語ります。
「できない」とは言わない
「お客様が要望されるものについては、やっぱり基本的にできないということは言ってこない」
110年の経験があるからこそ、この言葉に重みがあります。カスタマイズ性が高く、量販的な展開ではなく、企業ごとの個別ニーズに応えるため、仕様は毎回異なる。だからこそ、経験に基づく技術が必要とされます。
タナカの強みは、この「できない」とは言わない姿勢と、それを可能にする110年の技術の蓄積にあります。顧客の要望を細部に至るまで実現する。1点からの要望にも幅広く応える。この姿勢が、地域の製造業企業との長期的な信頼関係を築いてきました。
長く続けられる商売を
企業理念には「未来永劫 地域社会に貢献し 会社の存続と家族共々の成長と幸せ!」とあります。田中氏は、次の世代への継承についてこう語ります。
「110年くらいやっていますので、まあこればっかりを、続けていきたいな私自身。後は次の継ぐ者がどう考えるか」
取締役の田中俊太朗氏は、一級建築士の資格を持ち、東京で働いた後に帰郷しました。テントだけでなく、工務店的な業務への展開も視野に入れています。電気工事だけで終わってしまうのではなく、まるっと管理する——そういう事業展開を考えている。今が転換期なのかもしれない、と田中氏は語ります。
「これから息子もあと30年40年やる。事業も150年になるし、その次の200年は私には分かりません。そういうふうにつなげてもらえれば、もう別に極端に大きくする必要もなければ、長く続けられる商売をやってもらえると一番ありがたい」
規模拡大よりも、持続可能性を重視する。この姿勢は、短期的な利益を追求するのではなく、長期的な継承を優先する選択です。
従業員への想い
田中氏は、従業員への想いも語っています。
「仕事してて良かったなと、ここで就職してよかったというふうには思ってもらいたいし、辞められてもまあ、顔出してもらえるような、逆に私が若いころお世話になった従業員の方が、まあ顔出してもらえるとかね、そういうふうな会社にするんだと」
この言葉には、単なる企業経営を超えた、家族のような絆で結ばれた共同体を維持・発展させたいという想いが込められています。従業員が安心して働き続けられる環境を提供し、辞めた後も顔を出してもらえるような会社にしたい。そのためにも、極端な規模拡大ではなく、長く続けられる適正な規模を維持する。
「200年、300年と続く株式会社タナカのこれからの歴史は、顧客・地域とともに発展していきます」——企業のウェブサイトに記されたこの言葉は、田中氏の経営哲学を端的に表しています。
時代の転換期を見極める
映像の中で田中氏は、「今転換期ぐらいなのかな」と語っています。
明治45年に雨合羽の販売から始まった事業は、四日市コンビナートの発展とともにテント関連業務に発展し、現在は産業資材や工業用品の卸まで拡大。縫製業務は分社した株式会社タナックスが担い、生産から設置までグループ内で一貫体制を構築。時代の変化に対応しながら、事業を継続・発展させてきました。
次の世代への継承、工務店的な業務への展開、そして変化する顧客ニーズへの対応。田中氏は、110年の歴史の中で培ってきた「時代の転換期を見極める」姿勢を、次の世代にも引き継ごうとしています。
アストライドのミッション
株式会社タナカの「できないとは言わない」という姿勢。その根底にあるのは、110年の歴史と経験から培われた技術への自負と、顧客・地域への誠意です。
「経験しかない」——田中氏のこの言葉は、デジタル化や効率化が進む現代において、逆説的な強みを示しています。仕様が毎回異なるからこそ、標準化では対応できない。だからこそ、110年の経験が価値を持つ。この現実が、タナカの存在意義を支えています。
「極端に大きくする必要はない、長く続けられる商売をしてもらいたい」——この言葉には、規模拡大よりも持続可能性を重視する経営哲学が凝縮されています。従業員が「仕事してて良かった」と思える会社、辞めた後も顔を出してもらえる会社。そうした家族のような共同体を維持しながら、200年、300年と続く企業を目指す。
これまで私は200社以上の経営者インタビューを通じて、こうした経営者の想いに向き合ってきました。数字では測れない「想い」こそが、企業を永続させる源泉である——その信念のもと、引き続き経営者の言葉を映像として記録し、次の世代へと伝えていくことが、私たちの使命です。
田中俊徳氏の言葉には、110年の歴史を背負い、次の110年を見据える経営者の覚悟が刻まれています。時代の転換期を見極めながら、顧客・地域とともに発展していく——その想いは、この映像の中に確かに残されています。
記事を書いた人

アストライド代表 纐纈 智英
アストライド代表。前職を含め地域企業を中心とした200社以上の経営者インタビュー映像を制作。現在は「左脳と右脳のハイブリッド」を掲げ、戦略設計から映像・Web・各種コンテンツ制作まで手がける。 これまで音楽家として楽曲提供、行政職員として12年間 制度運用・予算編成等に従事。その後、NPO法人、映像・マーケティング分野に転じ、現在に至る。現在は大学非常勤講師として映像編集ソフトの操作指導も行う。
































