インタビュアーの視点 – 有限会社友栄水産|橋本純氏
三重県度会郡南伊勢町の阿曽浦。熊野灘に面したリアス海岸のこの地で、有限会社友栄水産は真鯛養殖を営んでいます。年間24万〜28万匹を生産する三重県内最大規模の養殖場。3代目の橋本純氏は、世界各国を巡る旅を経て家業を継ぎました。
現在は養殖業だけでなく、漁村体験ができるゲストハウス「まるきんまる」を運営。近隣の魚類養殖業者と生産部会をつくり、生産基準のもと均質かつ高品質なマダイを生産する「伊勢まだい」ブランドの一翼を担っています。
水産業界が直面する構造的課題
日本の水産業は2022年時点で約1.5兆円規模。養殖業が占める割合は全体の30%に達し、真鯛養殖は高級魚として安定した需要を維持しています。
しかし業界の課題は深刻です。漁業従事者の平均年齢は60歳を超え、後継者不足は危機的状況にあります。天候に左右される過酷な労働環境が、若者の参入を阻んでいます。環境規制の強化、飼料価格の高騰、流通構造の硬直化も追い打ちをかける。
一方で変革の兆しも見えています。IoTセンサーによる水質管理の自動化、AIを活用した給餌システムの最適化、環境負荷を抑えた循環型養殖技術。そして何より注目すべきは、六次産業化と体験型ビジネスの拡大です。生産・加工・販売を一体化し、消費者との接点を創出する。この新たな潮流が、衰退産業と言われた水産業に活路を開いています。
リアス海岸がもたらす恵み
橋本氏は、この地で養殖ができる理由をこう語ります。
「志摩市から南側にかけて、リアス式という入り組んだ地形があって。アジやサバ、イセエビ漁も盛んですし、いろんなものがとれます」
「海が豊かである一面と、人にとって都合がいいという面がある。三重県は台風の通り道でもあるんですけど、リアス式の入り江があると、そこにいろんなものを回避できたりする。この地形というものが養殖に適していた」
水温域も含めて、鯛が一番育てやすい。だからこの地で、真鯛養殖を続けている——橋本氏はそう説明します。
体験したことだけが記憶に残る
橋本氏の経営哲学を理解する鍵は、世界各国を巡った原体験にあります。
「世界一周に近いくらい、いろんな国を回っていたんですけど、自分の頭に残るものって、自分が体で体験したもの、嗅いだ匂い、見たもの、触れたもの、聞いたもの。それしか頭の中には残ってないんですよね」
この確信が、すべての原点となりました。
「鯛ってどういう魚なのか、実際に見たことがない。どうなっているのかわからない。そういうお客さんが非常に多くて。それなら僕のところの鯛はこう育ててるよっていうのを、ちゃんと見せよう。養殖と漁獲、両方をセットにしたのが漁師体験です」
鯛になる体験
漁師体験では、まず餌やりから始まります。鯛の養殖がどのように行われているか、どんな餌を作っているのかを知ってもらう。どうしてこの場所で養殖ができるのか、リアス式海岸と豊かな海の関係を説明する。その後、定置網で天然物を獲りに行き、ゲストハウスでさばいて食べてもらう。
「採れたものを無駄なく、恵みというものを、命というものをいただいてもらう。その過程まで持っていくという体験にしています」
特に印象的なのは、「鯛になる体験」です。いけすの中で鯛と一緒に泳ぐ。
「餌をやった後にやるので、餌を食べている姿がピラニアみたいに見えて。ガバガバって。それを見た後にそこで泳ぐとなると、自分もそうなるんじゃないかという恐怖心がある。実際に噛まれる人もいます」
「でも一緒に泳いだりすると、本当にインパクトが強くて。泳いでいる姿がすごく綺麗だったり、こういうふうに餌を食べてるんやっていうのを目の前で見ると、その価値というのがどんどん『生き物』になっていく」
養殖と天然、命の違い
橋本氏は、養殖と天然の違いについて、こう語ります。
「天然物って、基本的に人に食べてもらいたいがために育ってないんですよ。この地球の中の一部として生きている。でも養殖って、僕らが育てるというのは、基本的に人に食べさせるためにやっている。食べてもらうためのものを作っているんです。でも、それもちゃんと命がある」
「鯛になる体験をした後に、鯛を食べるときに泣いた子もいます。それぐらい感受性が強くて、命というものをありがたく思ったというか。『かわいそう』という方に転換する子もいるし、それはすごく良いことだと思う」
「きっと年齢を重ねると、『これは人が食べるために育てたものだ』と思ったら、また食べてもらえるかもしれない」
心臓が動いている
さばき体験では、獲ってすぐにさばくため、まだ心臓が動いています。
「心臓の振動を感じると、その魚の味がわかる。鯛なら鯛の味がある。鯛の場合、本当に小指の爪くらいの大きさの心臓で、大きな鯛が生きているということを知るだけでも、命の価値というものに気づくはず」
「内臓系なんかを食べたら、感覚が違うし。こういうのは生産者、僕らからしか伝えられない。みんな与えられたものだけを食べている人の方が多いんで、気づいてくれると食べ方が全然変わりますよ」
捨てられている部分への衝撃
橋本氏には、強い課題意識があります。
「僕らが育てて売ってる魚、もちろん捨てられている部分もいっぱいあると思うんですね。それが僕らにとってはすごいショックというか。それなら、1人でもちゃんと1匹が食べられるような人たちを増やした方が、僕たちの仕事としてのやりがいというのは、比重が大きくなる」
楽しさは豊かさ
「楽しさというのは、豊かさだと思うんですよ」
橋本氏は、知識や経験を積み重ねることの意味をこう語ります。
「人の欲望って底なしじゃないですか。でも底なしなんだけど、1本の底なしではなくて、いろんなところに底がある。知識や経験というのは、自分の中の豊かさとか、底なしの欲求の壺をいっぱい増やすこと。その中にちょっとずつでもものを補っていける」
「だからそうするには、やっぱり経験。あとは時間を無駄にしない。時間を無駄にしないということは、自分の時間を上手にコントロールできるということ。それをちゃんとやっていったら、楽しいですよ」
0.1%の孤独を超えて
橋本氏には、漁師という仕事への強い想いがあります。
「僕らのやっている仕事って、すごいことをやってるはずなんですね。でもそのすごさというのは、誰も知らないじゃないですか。今、漁師という海の仕事をやってる人間って、基本的に人口の0.1%しかいない」
この孤独感が、橋本氏を学術の世界へと向かわせました。
「漁業の業界には、いろんな論文とか、学者さんが出したものがいっぱいある。でも現場から上がっているものって、ほぼないに等しい」
「論として、漁業の現場から見る視点を伝えながら、それに対して誰かが反論なり、プラスの議論をつけていってもらえるように。ちゃんと学術的に残せることが、一つの価値を上げるものだと思う。僕らのやっていることに対して、ちゃんと刻みをつけていこうかな」
生かされている
橋本氏の根底にある哲学は、自然への深い畏敬です。
「僕の人生観として、『まあ生きてたらいいか』というのはあるんですけど、生きていること自体が、何か役割を果たしているんだと思う」
「20万匹飼っていると、必ず病気は起こるんですけど、一番避けたいことが、簡単に起きてしまう。一瞬で、次の日になったら。僕ら一次産業の人たちは知ってるし、農家さんもきっと知ってますよ」
「どちらかというと、自分の意思であんまり生きてないんですよ。生かされていることの方が多い。台風が来ると僕らは行動を起こしますけど、それって自然任せなんですよ。ということは、僕が今立っているこの場所というのは、僕が生かされているだけ」
「なら、生かされているんなら生き続けようと思う。なら何をする、という話で」
カネ勘定だけの社会ではない
「カネ勘定だけの社会ではないと思う。そこをもちろん追求しないと、従業員も子どもたちも飯を食わせられない。わかっていますけど、でも自分の中でどこか、やっぱりそこじゃない部分に比重があって。そこがなくなったら、僕が今ここに立っている意味がないんじゃないかな、と思うので」
リピーターが語る価値
橋本氏は、体験の効果をこう振り返ります。
「みなさん楽しんできてもらってますし、リピーター率がすごく高いと思います。『初めまして』って言ったら、『僕、初めてじゃないんです』というお客さんがいて。『え?』って言ったら、『一度、親に連れられて体験しに来たことがあって。今度この子と結婚するんですけど、彼女が海が見たいって言ったから、海でイメージして思い出したのがここだったんで、連れてきました』って」
子どもの頃の体験が、大人になっても記憶に残り、大切な人を連れてくる場所になる。橋本氏が語る「体験したことだけが記憶に残る」という確信が、ここに証明されています。
アストライドのミッション
「生かされているんなら生き続けようと思う。なら何をする」
橋本純氏のこの問いかけは、私たちが大切にしている姿勢と深く響き合います。
私はこれまで200社以上の経営者インタビューに携わり、経営者の想いを映像として記録し発信してきました。橋本氏が「現場から上がっているものがほぼない」という課題意識から学術の世界に挑戦しているように、私たちもまた、アストライドとして経営者の想いを可視化し、その価値を社会に届けることを目指しています。
「カネ勘定だけの社会ではない」——この言葉に、私たちは深く共感します。効率や数字では測れない価値がある。その価値を、映像という形で残し、伝えていく。それが私たちの使命です。るはずです。私たちは、その価値の発見と継承を支援し、企業の持続的な成長をサポートします。
記事を書いた人

アストライド代表 纐纈 智英
アストライド代表。前職を含め地域企業を中心とした200社以上の経営者インタビュー映像を制作。現在は「左脳と右脳のハイブリッド」を掲げ、戦略設計から映像・Web・各種コンテンツ制作まで手がける。 これまで音楽家として楽曲提供、行政職員として12年間 制度運用・予算編成等に従事。その後、NPO法人、映像・マーケティング分野に転じ、現在に至る。現在は大学非常勤講師として映像編集ソフトの操作指導も行う。































