インタビュアーの視点 – 株式会社canaarea|川渕皓平氏
三重県伊賀市に拠点を置くカナエリア。代表取締役の川渕皓平氏は、竹あかりの制作・演出を手がける作家であり演出家です。竹に無数の穴を開け、中に光を灯す。シンプルな工程から生まれる作品は、2020年に三重県文化新人賞を受賞、同年開催の「第1回竹あかり審美会」では最優秀賞を獲得するなど、高い評価を得ています。
公式ウェブサイトには「想いをこめたものにはいつしか心が宿る」という言葉が掲げられ、「あたらしい日本の風景を創ります」というビジョンが示されています。
竹あかりという表現
現代において竹あかりは、複数の文脈で再評価されています。環境面では、全国的に深刻化する放置竹林問題の解決策として。社会面では、SDGsやサステナビリティへの貢献として。文化面では、伝統工芸と現代アートの融合として、展示機会が拡大しています。
しかし、カナエリアの作品が持つ独自性は、こうした業界の動向だけでは説明できません。
川渕氏は、竹の内側の色が日本人の肌の色に近く、そこに反射して出てくる明かりが柔らかいと語ります。この素材の特性を活かした美しさ。そして、日本人の生活に古くから関わってきた竹が持つ力。縁起がいいものとしての存在。それに「ちょっと手間を加えることによって、より喜んでもらえるもの、美しいものに変えられる」——川渕氏はそう考えています。
特殊な環境で育った10代
川渕氏は、自身の生い立ちについてこう語ります。
「ちょっと特殊な環境で育っているので、家族がちょっとバラバラで。両親も離婚してて、まあなかなかつらかったんですね、やっぱり。10代後半ぐらいまで、本当夢も希望もないような感じだったんですよ」
その経験が、今の創作活動の奥底にある原動力になっていると、川渕氏自身も認識しています。整理しきれていない何かが、今も自分を突き動かしている。
21歳、ピースボートでの転機
21歳の時、川渕氏はピースボートという地球一周の船旅に乗りました。船賃は148万円。当時、クレジットカードを持っておらず、財布には5万円しかありませんでした。
ポスターを3枚貼ると1000円割引になるシステムがある。普通の人は1日20枚が限界と言われる中、川渕氏は毎日100枚近くのポスターを商店街に貼り続けました。営業中の店から怒られることもあった。心が折れそうになることもあった。それでも乗りたい。3ヶ月後には全額をポスター貼りで払い切り、船に乗ることができました。
発展途上国を訪れた時の衝撃は大きかった。ボロボロの服を着た子どもたちが「ギブミーマネー」と集まってくる。自分はお金持ちだと思っていなかったけれど、彼らから見れば信じられない額のお金を持っている存在だった。
「めちゃめちゃ恵まれた国で生まれ育ったんやなと思って。ちゃんと自分のやりたいことをして生きていこう。ちゃんと楽しんで生きていこうって、すごく思ったんですよ」
同時にもう一つ気づいたことがある。ものがある国とない国、いろんなものがあって、うまく循環したらいろんなことが補い合えるのではないか。この気づきが、後の竹あかり制作における重要な哲学につながります。
邪魔者を美しいものへ
竹は日本人の生活に古くから深く関わってきた素材です。子宝・子孫繁栄の縁起物とされてきた一方、現在では放置竹林による竹害が深刻な問題になっています。
川渕氏は語ります。「邪魔者扱いされているものを、捨ててしまうんじゃなくて、手間を加えることによって美しいものに変わる」
この「手間を加える」という行為は、単なる技術的な作業ではありません。会場を見て、こんなものがあったらいいなと思い描き、デザイン画を描く。絵の上ではイケているけれど、「どうやってこれを実現させるか」という難題が山積する。実際にできそうなものだけを絵に描いてしまうと、全然進化しない。
「無理やろと思いながらも、1回ちょっとやろうとしてみて。その時間も好きですね。何か新しいものを作って、今までにない作品を作っている時間っていうのは好きですね」
やるべきことを全力でやり終わった時に、次の道がポッと一歩先に見えている。いつのまにか自分のやるべきことになっている。そうした積み重ねの中で、川渕氏は作品を生み出してきました。
手を抜かないということ
川渕氏は周囲から「ブチさん」と呼ばれ、人手が必要な時には本当にみんなが集まってくる。その理由を、周囲の人はこう語っています。
「手を抜かないというか、どんな現場でも100パーセント以上でやっているところを、いつも見ているので。こういう手を抜かないところが、そういうところにつながっているのかな」
信頼は、日々の姿勢から生まれる。言葉ではなく、行動で示し続けてきた結果として、周囲に人が集まる。
「世界はただ輝いて」
作品タイトル「世界はただ輝いて」には、川渕氏の世界観が凝縮されています。
「ここ2年ぐらいコロナだったりとかで、暗くなるようなニュース、不安になるような情報が多かったりとか。その中でも、見方を変えると、それきっかけに良くなったことが多分たくさんあって。人に会えなくなった時に、仲良い人と会いたいとか、大事なものにもう一回気付かしてくれるとか」
周りの風景を見渡してみても、その辺の草でも、落ち葉にも、そのままで輝いている。その気づきを竹あかりで表現したい。
宇宙の始まりに想いを馳せて
川渕氏の作品には、深い世界観が込められています。
「宇宙の始まりがあるとして、何かきっかけがあるとして。こうやって物質に現れているということは、必ず見えない原因があって。その元にある何かが、名前をつけるなら神様かなと思っていて」
すべての人間には、その「神様」と呼ぶもののほんの欠片が必ず宿っている。生きている人すべてが神様だと川渕氏は考えています。
「肉体を持って生きていたら、苦しみもあるし悩みもあるし、むしろそれを味わいに行っているくらいに思ってるんですけど。私は私と思ってるけど、その孤独感というか、それがゆえに人と対立してしまったりとか、悲しいことが起きたりとかするけど、同じところから来ているから、みんなが幸せになることはできると思っているし」
こんなことを言っても、多分「何言ってる」となる。川渕氏はそう自覚しながらも、言葉を続けます。
「夜、暗いところに竹あかりを置いて、そこにみんな、10人いたら10人、それぞれの姿であかりを見るように、何かこう見てしまうというか。そういう力が、あかりというものにはあるっていうので」
言葉にできなくても
「言葉にできなくても、作品を見た時に、なんかただの竹あかりじゃない、何かあるなっていうのを思ってもらえたら、それでいいなーと思っています」
川渕氏の言葉は、そこで締めくくられました。
作品の価値を自ら語り尽くすことはしない。見る人がそれぞれの姿で受け取ればいい。その潔さが、川渕氏の作品に独特の余白を生んでいます。
アストライドのミッション
カナエリアの川渕皓平氏が語る言葉には、説明しきれない奥行きがあります。10代後半まで夢も希望もなかった経験、ピースボートでの転機、邪魔者扱いされる竹を美しいものに変える哲学、そして「宇宙の始まり」から着想した世界観。
これらは、ビジネスの文脈で語られる「差別化戦略」や「ブランディング」とは異なる次元にあります。川渕氏自身の経験と思索から自然と生まれた信念であり、それが作品に宿っている。
私はこれまでの、200社以上の経営者インタビューに携わる中で、数字やデータでは測れない「想い」こそが、企業を永続させる源泉であることを実感してきました。
川渕氏の映像には、竹あかり作家としての技術だけでなく、その人間性と世界観が記録されています。「言葉にできなくても、何かあるな」——その感覚を、映像を通じて伝えること。それが、私たちの使命です。
記事を書いた人

アストライド代表 纐纈 智英
アストライド代表。前職を含め地域企業を中心とした200社以上の経営者インタビュー映像を制作。現在は「左脳と右脳のハイブリッド」を掲げ、戦略設計から映像・Web・各種コンテンツ制作まで手がける。 これまで音楽家として楽曲提供、行政職員として12年間 制度運用・予算編成等に従事。その後、NPO法人、映像・マーケティング分野に転じ、現在に至る。現在は大学非常勤講師として映像編集ソフトの操作指導も行う。























