インタビュアーの視点 – 水谷養蜂園株式会社|水谷友彦氏
水谷養蜂園は、三重県松阪市松ヶ島町に本社を構える、大正元年(1912年)創業の老舗養蜂家です。初代松治郎が三重県桑名市でミツバチ3箱から創業し、はちみつ専門の会社として100年以上の歴史を刻んできました。現在、4代目の水谷友彦社長が代表取締役として事業を継承しています。
はちみつ市場の構造
日本のはちみつ市場は約300億円の規模を有しますが、国産はちみつの生産量は約3,000トン/年に対し、輸入量は約40,000トン/年。国産はちみつの自給率は約7%に過ぎません。国産蜜源の減少により価格高騰が懸念される一方、輸入はちみつは価格競争力が高く、大手食品メーカーも参入しています。
こうした厳しい環境の中、水谷養蜂園は独自の道を歩んでいます。
原料がすべてを決める
「はちみつっていうのは、加工しない。原料をもってきて瓶詰めする。ほんとにただ単にそれだけ。その原料がおいしくなかったら、全然おいしくなくなってしまう」
水谷社長はこう語ります。ジャムのような加工品とは異なり、はちみつは原料の品質がそのまま製品の品質に直結する。だからこそ、自分で買い付けをすることをポリシーにしてきました。
「採れたところ、それから採ったひと、ミツバチの元気さ。そこが大事なんだと思います」
自ら足を運ぶ理由
国産蜜源が減少する中、水谷社長は海外の養蜂家との直接コミュニケーションを欠かしません。
「自分の目で見て、ちゃんとトレーサビリティができてるかとか、味を見て直接買い付けをして、というのが、もう唯一の私の仕事じゃないかなと思うくらい、大事だと思います」
はちみつには独特の後味があります。九州で採れたレンゲのはちみつ、三重県で採れたレンゲのはちみつ、岐阜で採れたはちみつ。すべて味が違う。水谷社長はその違いがわかる。だからこそ、ブレンドによって「あっさりしている、食べやすい」味を作り上げる。何も足すことはできない。ブレンドだけが手段。その難しさの中に、面白さがある。
「使命」という言葉
「商売とか企業理念とかじゃなくて、これはもう私の使命だと思ってるんで、そこだけは、なにがなんでも外せない」
水谷社長のこの言葉には、100年以上続く老舗の重みが込められています。変わらぬ水谷養蜂園の味を提供し続けること。それは商売の論理を超えた、個人としての覚悟です。
ミツバチは「仲間」
水谷養蜂園では、ミツバチとの向き合い方にも特徴があります。
「養蜂の方はやはり、ミツバチと会話をするということを一番大切にしてます。私どもの蜂はおとなしい。やっぱりこれは扱う人によって、蜂の性格というのは出てきますので、こういった蜂を育てるのが、うちの伝統的なやり方です」
水谷社長の祖父は、「ミツバチの話していることがよくわかる」「人間よりミツバチが好きだ」と言うほどミツバチを愛した人でした。「ミツバチはうそをつかない」という言葉を残しています。
「『飼ってる』という感覚はなくて、もうやっぱり同等な目線で。彼らは機嫌が悪かったら僕に対して怒りを出しますし、いくらえさを与えても、犬のようには飼われないっていう。ですから本当に『仲間』だと思います」
ポリネーションという役割
養蜂業には、はちみつを採ること以外にもう一つ重要な役割があります。
「養蜂業ってなんか、はちみつを採ってるのが養蜂業のイメージがあるんですけれども、実はそれ以上に、養蜂業の一番重要な仕事というのは、皆さんが普段食べられているイチゴであったりメロン、トマト、すいか、茄子とか果樹ですね。これ実はミツバチがいないと、実は食べれないんですね」
二代目清一が研究開発したポリネーション(受粉促進)技術は、全国に広がりました。かつては人間が手で花粉交配を行っていましたが、ミツバチによる受粉のほうが甘くなる。それが自然の摂理だと水谷社長は語ります。
水谷養蜂園は、はちみつを採るだけでなく、日本の農業を支える一翼を担っています。
環境変化への危機感
「あんまりね、地球温暖化とか、そういうことはいいたくはないんですけど、やはりここ何十年で、ミツバチの状態も変わってきてます。そこに対する危機感というのは、やはり常日頃から持っております」
環境が悪化していく中で、現状を維持していくことは、成長させることよりも難しい。かなりの努力が必要だと水谷社長は語ります。現状維持、もしくはプラスアルファしていくこと。それが養蜂業に求められる姿勢です。
松阪商人の精神
水谷社長は、松阪商人のルーツを学ぶ中で、ある想いを抱くようになりました。
「あの当時は車もなければ何もないわけですから、これはやはり、このいま現在に生きている人間として恥ずかしいなって」
江戸時代から世界に商品を届けた松阪商人の精神。「いいものは世界に発信できるはずだ」という信念を、水谷社長は継承しています。
厳しい職人との出会い
新商品開発においても、水谷社長は妥協しません。
「いまやってることっていうのは、はちみつのキャンディーだとか。批判されました。『飴屋になり下がった』って。でも、伊勢の飴の先代さんと、もう本当に何回も何回もけんかしながら、『もうお前、これは辞めや!』って言われるくらいやって、いま、はちみつの飴」
厳しい職人との出会いが、良い製品を生む。新製品の提案はたくさんあるが、なかなかGOを出せない。その慎重さが、水谷養蜂園の品質を支えています。
次世代への継承
水谷社長は、次の経営者への想いをこう語ります。
「私はね、次の経営者が考えること、これを僕は全面的に支持します。はちみつの味。これだけは自分の舌で。だから私の味じゃないかもわからない、それはそれでもいいと思う。『水谷はちみつの味はこうなんです』で、それは構わない。ただ、その一定した味を、やはり求めていくっていうのは、すごく大事なこと。それは伝えています」
次世代の味を全面的に支持しながらも、一定した味を求め続けるという姿勢だけは伝える。その想いに、100年以上続く企業の継承哲学が凝縮されています。
アストライドのミッション
私は、これまで200社以上の経営者インタビューにインタビュアーとして携わってきました。その中で、水谷社長のように「商売とか企業理念とかじゃなくて、これは私の使命」と語る経営者に出会うことがあります。
ミツバチ3箱から始まった事業が、100年以上の歴史を刻み、今も変わらぬ味を守り続けている。その背景には、自ら足を運び、自分の目で見て、自分の舌で確かめるという愚直な姿勢があります。ミツバチを「仲間」として扱い、松阪商人の精神を継承し、次世代への想いを語る。その一つひとつが、水谷養蜂園の価値を形作っています。
経営者の想いを映像として記録し、次の世代へ伝えること。「いいものは世界に発信できるはずだ」という水谷社長の言葉は、私たちアストライドの使命とも重なります。経営者の想いを、社会へ届ける伴走者として、私たちはこれからも歩み続けます。
記事を書いた人

アストライド代表 纐纈 智英
アストライド代表。前職を含め地域企業を中心とした200社以上の経営者インタビュー映像を制作。現在は「左脳と右脳のハイブリッド」を掲げ、戦略設計から映像・Web・各種コンテンツ制作まで手がける。 これまで音楽家として楽曲提供、行政職員として12年間 制度運用・予算編成等に従事。その後、NPO法人、映像・マーケティング分野に転じ、現在に至る。現在は大学非常勤講師として映像編集ソフトの操作指導も行う。



























