インタビュアーの視点 – ゲストハウスたこのすけ|森田松之助氏
伊勢志摩の山の中にある小さな宿、ゲストハウスたこのすけ。そこは「世界たこ焼き幸せ計画」の秘密基地として知られています。代表の森田松之助氏と森田愛氏が運営するこの宿は、宿泊しながらたこ焼きの焼き方やレシピを学べるプランが人気。時には国境を超えて、たこ焼き好きの旅人が集い、体験を楽しんでいます。
宿泊業界という背景
日本の宿泊業市場は約5兆円規模。コロナ禍の影響により、2020年から2021年にかけて利用者数が大幅に減少しました。競争の激化により、差別化が課題となっています。
このような業界環境の中で、多くの宿泊施設が効率化を追求し、より多くの顧客を獲得しようとしています。しかしゲストハウスたこのすけは、1日1組限定という運営形態と、たこ焼きを教えるというユニークなサービスで、独自の道を歩んでいます。
1日1組限定という選択
「今ゲストハウスは4区まで宿泊可能な状態なんですが、コロナの影響で1日1組限定という形でやっています」
森田松之助氏はこう語ります。効率性を追求すれば、より多くの顧客を受け入れることも可能です。しかし1日1組限定だからこそ、お客様との直接的なつながりを実現できる。その姿勢が、「出会いと交流」という価値を生み出しています。
たこ焼きを教えるという体験
「僕がたこ焼きを教えるプランというのがありまして。材料は何を使っているか、どのように粉と水を配合するか、焼き方のコツですとか。本当にたこ焼き屋さんをやりたいっていう人も来られますし、実際たこ焼き屋さんをしているという人も来ます」
たこ焼きの技術には、深いこだわりがあります。
「千枚通しだと鉄板に傷がついちゃうんですよ。コツは、素早く丸い状態を作って、たこ焼きにまんべんなく火が通っていくようにすること。しっかり焼いていって中が空洞になると、タコからだしが出る。それがすごく重要なんです」
「10秒、20秒でも過ぎちゃうと、僕が思っているものにならない。ゲル化という化学反応で、中が空洞になる。空洞になっているということは、中でタコが柔らかくなる状態になる」
リヤカーで日本縦断——原体験
森田松之助氏の原点は、大学時代に遡ります。
「大学1年生の時に、ちっちゃいたこ焼き屋さんを始めました。たこ焼きを一本通して、それを基にいろいろチャレンジしたら面白いんじゃないかと。大学3年生の時に1年休学して、北海道から沖縄までリヤカーを引いて歩いて、たこ焼きを焼きながら旅をしました」
ボロボロになった11年前のリヤカー。約9ヶ月かけて旅をして、出会う人やお客さんがリヤカーにメッセージを書いてくれました。
「辛いことの方が多かったですけどね。箱根を超えるの、本当に大変だったんですよ。このリヤカー、めちゃくちゃ重かったし。でも辛いとき、このメッセージを見ると頑張れましたね」
「やっぱりそういう出会いとか、誰もやったことないようなことをしたいとか、そういうのが自分のモチベーションになって動いています」
11年後も続く繋がり
「今でも連絡を取り合ったり、こっちで採れた野菜を送ってあげたり。向こうから山の幸が届いたりとか、そういう繋がりが未だにあって。本当にそれが、僕が得た一番のものですね。やっぱり捨てられないですよね」
6歳のときにリヤカーにメッセージを書いてくれた子は、11年経った今、17歳になっています。
「娘が大きくなったら、『これで行ってこい』って言いたいですね。三重県を上から下まで、これをやり終えたら、小学校卒業、中学校卒業、みたいな」
妻の愛氏は「絶対やらなそうですけどね」と笑いながらも、「彼はたこ焼きがずっと好きでしょうね」と語ります。
モロッコでたこ焼きを広める
森田氏が使うタコは、モロッコ産。スーパーに売っているものもモロッコ産のタコが多いことに気づき、「じゃあモロッコに行ってたこ焼きを広めよう」と旅立ちました。
「その時に出会ったモロッコ人のアナスという彼が、『たこ焼きを俺のピザの前で売れよ』って言ってくれて。結構売れたんです。アナスがすごく羨ましそうに、『ピザよりそっちの方がいいな』って言ってたんで、僕はその道具とかレシピとか焼き方も全部教えて、『じゃあたこ焼き広めてくれよ』って」
「彼に教えたら、今はいろんなテレビとかも取材も来るような、すごい人気のたこ焼き屋さんになっています」
フィリピンでの出会い
大学卒業後、「世界でたこ焼きを広げる旅」を1年かけて実行。アジア、ヨーロッパ、南米を渡り歩きました。
フィリピンでの出会いについて、愛氏はこう振り返ります。
「私は英語を学びに行ったんですけど、彼はそこでスタッフとして働いていて。それが出会いのきっかけですね。『スーパーマーケットの前でたこ焼きを開く』とか言い出したので、『なんかたこ焼き好きなんだ』みたいな情報が入ってきて」
「フィリピンのセブ島で、バイクタクシーが山の方に人を乗せてたくさん行ってたんですね。彼が『これは山に何かあるぞ、人がいっぱい住んでるんじゃないか』って、『バイクタクシーどこ行くかわからんけど乗っていこう』って誘ったんですよ」
「ちょっと行きたくないなと思ってたんですけど、すごいワクワクした感じで言ってくるので。山の方に行ったら集落があって、日本人が来ないような場所。そこで子どもたちがいっぱい集まってきて、遊んだり。すごく楽しくって。彼についていったらこんな楽しいことがあったんだって、価値観がひっくり返された感じがしました」
たこ焼きは人を幸せにするツール
「たこ焼きで金儲けをしたいとは、まったく思ってなくて」
森田氏は言い切ります。
「たこ焼きはあくまでもツールというか。ミュージシャンは歌で人を幸せにしますし、ダンサーはダンスで人を幸せにしますし。僕の場合、それがたこ焼きっていうツールで、人を笑顔にしたり、人を幸せにする」
「この宿をやるときも、本当にいろんな人に助けていただいて。こんなにたくさんの人と知り合いなんだって、すごく感じました。新しい宿もたくさんの人に助けてもらいながらやっているので、本当に彼の人望があって今できているんだなって感じます」と愛氏は語ります。
「そういう繋がりっていうのを、僕がつなげて、人と人とをつなげるような、そういう人になりたいなと思います」
究極のこだわり
「人にたこ焼きを教えるときにしか、たこ焼きを焼かないんですよ。お店でやるとどうしても1回100個とかたくさん数を焼いちゃうので。少ない数だと、一つ一つ『おいしくなれ、おいしくなれ』って思いながら作れるんで。僕はこのスタイルが一番好きです」
「使っている小麦粉だけは企業秘密で」と笑います。
愛氏は、夫のたこ焼きへの愛情をこう評します。
「たこ焼き愛が強すぎて、本当にこだわっている。それがちゃんとたこ焼きに出てるのかなって。自分の舌もすごく研ぎ澄まされてて、本当に全然違うなっていうのは感じました。目の前で職人に焼いてもらうっていう、究極の贅沢ですね」
アストライドのミッション
「やっぱり捨てられないですよね」
森田松之助氏がリヤカーで日本縦断した約9ヶ月の旅で得た繋がり。11年経った今も、野菜を送り合い、山の幸が届く。その言葉に、私たちは深く心を動かされました。
私たちアストライドは、200社以上の経営者インタビューを通じて、経営者の想いを映像として記録し発信してきました。森田氏が「たこ焼きは人を幸せにするためのツール」と語るように、私たちもまた、映像を通じて経営者の想いを可視化し、その価値を社会に届けることを目指しています。
効率や合理性ではなく、「出会いと交流」を大切にする。その姿勢が、多くの笑顔と人のつながりを生み出している。本映像では、森田松之助氏と森田愛氏、お二人の言葉で、ゲストハウスたこのすけの魅力が語られています。
記事を書いた人

アストライド代表 纐纈 智英
アストライド代表。前職を含め地域企業を中心とした200社以上の経営者インタビュー映像を制作。現在は「左脳と右脳のハイブリッド」を掲げ、戦略設計から映像・Web・各種コンテンツ制作まで手がける。 これまで音楽家として楽曲提供、行政職員として12年間 制度運用・予算編成等に従事。その後、NPO法人、映像・マーケティング分野に転じ、現在に至る。現在は大学非常勤講師として映像編集ソフトの操作指導も行う。



























